小野政次の最期は悲惨?井伊直虎を追い出して井伊家を横領して処刑?
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8月20日追記!なぜ直虎自ら、小野政次にとどめを刺したのか?
最期の「恨み節」の真の意味とは?
政次の辞世の歌の意味とは?
政次と直虎を罠にはめた「もみあげ武将」の最期とは?
高橋一生さん演じる小野政次・・・・。
その最期はどんなものだったのか?
女城主直虎では、悲劇的な最期として描かれていましたが・・・。
実際には、そんなことはなかった・・・。
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南無阿弥陀仏・・・。
■「小野直次」
2017年現在放送中の大河ドラマ「女城主直虎」。
そこで俳優の『高橋一生』さんが演じている、井伊家の家老「小野政次」。
幼い頃から井伊家当主の「井伊直親」や、主人公の「井伊直虎」こと「おとわ」ちゃんと仲良く育った知恵者「鶴丸」くん。
彼は一体全体どういう人なのでしょうか?
ちなみに、女城主直虎の原作本は以下でございます。
どうやら史実では、「小野政次」という名前ではなく「小野道好(みちよし)」という名前だったと言われているようです。
ドラマでは、聖人君子の井伊直親が、幼馴染の小野政次を気遣いながらも、軋轢がうまれていってしまう・・・・という設定ですね。
大河ドラマでは、井伊直親と小野政次は仲良しな幼馴染として設定されていますが、史実ではおそらくそんな間柄ではなかったことでしょう。
何といっても井伊直親の父親「井伊直満」は、政次の父「小野政直」の讒言によって処刑されてしまっているのですから。
小野政直が父を殺害したといっても、政次には何の罪もないのでしょうが、現実的に考えると被害者と加害者の子供同士が仲良しってのは考えづらいでしょう。
ドラマで演じられていた「直親」と「政次」の10年ぶりの再会のような、和やかな関係では決してなかったと思われます。
俳優「吹越満」さんが演じていた「小野政直」が息子である「政次」に対して最期にこう言ってましたね。
「お前は必ず、わしと同じことをする」
つまり井伊家を乗っ取ろうとする・・・・専横を極める・・・・ということでしょう。
その父の予言は・・・・史実上、当たっていたのです。
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■弱みにつけこんだ奸臣!領地を横領!
小野政次・・・・。ドラマの中では「井伊直虎」こと「次郎法師」に好意を抱く青年として描かれています。
井伊直親が井伊家を継いで、幼馴染の小野政次がそれを補佐する・・・・。そんな理想的な関係であればよかったのでしょうけれど・・・実際にはそうはいきませんでした。
井伊家は、当初、次郎法師こと井伊直虎の父「井伊直盛」が当主を務めていました。
しかし、1560年、有名な「桶狭間の戦い」で、「井伊直盛」は今川義元とともに戦死してしまいます。
この桶狭間の戦いで、今川義元の人質だった徳川家康は、どさくさに紛れて故郷である三河岡崎へと帰還して独立。
翌年には勢いのある織田信長と清洲同盟を結んで三河・遠江という今川の領地へと進行を開始します。
今川義元を失った今川家は、能力が乏しいと言われている「今川氏真」が継ぎました。
井伊直親はそんなピークを過ぎた今川から、勢いがあると見込まれる「徳川家康」へ寝返ろうとしたのだそうです。
それを知った小野政次・・・・。父の予言通り、父親「政直」と同じことをしました。
井伊の徳川への寝返りを今川氏真に対して密告。
それが原因で、1562年・・・・井伊直親は今川の重臣・朝比奈泰朝に殺害されました。
その後、小野政次は直親の息子「虎松」こと「井伊直政」をも殺害しようとしたのですが、井伊直虎の母方の伯父である「新野親矩」に阻止されています。
井伊家は直政が当主となるはずでしたが、あまりにも幼かったため、井伊直虎が女性の身で当主となったわけですね。
そこから、政次は・・・・・転落の一途をたどるわけです。
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■小野政次の最期(8月20日追記)
1568年・・・・織田信長が宿敵である美濃・斎藤氏を打ち破って、念願だった上洛・つまり京都への進行を果たしたこの年、今川の本拠地・駿河でも動乱が発生しておりました。
それまで今川の姫を息子・義信の妻にもらって、今川と同盟していた甲斐国・武田家の当主・武田信玄が、息子・義信を殺害してまで、今川との同盟を破棄して駿河に進行。
どうしてそこまでしたのか?というと、武田の治める甲斐・信濃の国は海がなく、海運・漁業・塩の生産ができなかったため、どうしても海が欲しかったんですね。
しかし、北には「軍神」と謳われた上杉謙信がいたため、日本海への道は閉ざされ、残るは太平洋のみ。
その為、武田信玄は息子を殺害してまで駿河侵攻を開始したのです。
この難敵に対するため、今川氏真は井伊に対しても出兵を促すことになります。
今川の目付役(監視役)を務めていた小野政次は、氏真から「虎松を殺害して井伊の実権を掌握し、出兵しろ」と命令を受けます。
それを実行しようとした政次・・・・・・直虎は虎松を助けるために龍潭寺に避難。なんとか難を逃れています。
とはいえ、小野政次は虎松と直虎がいなくなったことをいいことに、井伊谷を横領。その領地をまるで自分の物のようにして扱うことになりました。
結果的に、政次は井伊直虎と、「虎松」こと井伊直政を井伊から追い出すような形を取ってしまうわけですね。
しかし、この専横は長くは続きませんでした。長く続かないどころかわずか1月で終わったと言われています。
今川氏を遠江から追い出した徳川軍の力で、井伊谷は奪還され、政次は捕縛。
小野政次は徳川家康の命令で、2人の息子ともども処刑されています。
どうやら逃亡途中に、洞窟に身を潜めていたところをとっ捕まったみたいです。
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小野政次・・・・父・政直が井伊直満を殺害した様に、政次もその息子・直親を殺害してしまったんですね。
史実が女城主直虎で表現されているような「直親・政次・幼馴染」という関係だったかどうかはわかりませんが・・・・政次が井伊を横領し、奪い取ろうとした気持ちはわからんでもありません。
なぜなら、小野家が井伊の家老をしている以上、そして井伊家が存続する以上、政次やその子孫たちはいつまでも「直満を死に追いやった小野家」という目で見られるでしょう。
ということは、いつ小野家が滅ぼされてもおかしくない・・・・・という事になります。
小野の滅亡を避けるには、井伊家が滅亡しなくてはならないわけです。
あまりに極端な話ですが・・・・それが現実でしょう。
ドラマ「女城主直虎」で・・・高橋一生さんは処刑される運命にあります。
なんだか・・・・悲しい運命ですね
ちなみに、小野政次の子孫については、以下のリンク記事にて詳しく解説致します。
よろしければ、以下のリンク記事をご覧くださいませ。
↓↓↓↓↓
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8月20日に以下追記
直虎が自ら刺した理由
女城主直虎では、直虎が自ら槍を取って、政次の左胸を刺していました。
なぜ?
もちろん、政次と直虎が対立していることを演出するためでしょうけれど、もう1つ理由がありそうです。
磔(はりつけ)とは、脇腹から槍を突き、出血多量となるまで何度も何度も繰り返し刺す・・・非常に残酷な刑・・・。
ただ、直虎が左胸を刺したことで、政次は苦しまずに亡くなりました。
切腹で言う介錯・・・・苦しまないように・・・という直虎なりの愛情だったのかもしれません。
最期の会話の真の意味
小野政次を槍で突き刺した直虎。
2人は宿敵らしく、恨み節を吐き合う最期を迎えます。
しかし、その会話の内容は、2人にしか理解できないものとなっていました。
直虎「裏切り者として、お前のことを未来永劫語り継いでやる」
(あなたを忘れません。後世まで名が残るように、きっと真実を語り継ぎます。)
政次「女頼りの井伊が生き抜けると思っているのか?地獄の底から見届け・・・・」
(女性だからといって、負けるな!いつまでも、あなたを見守っていますからね。)
壮絶な愛の形・・・・直親と政次・・・異なる形で2人の男から愛された直虎・・・・。
激動の時代を生き抜いた女性ながらも、実は幸せな人なのかもしれませんね。
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政次の辞世の意味
政次が最期に残した辞世の歌。
その真の意味とは?
「白黒をつけむと君をひとり待つ。天つたふ日ぞ楽しからずや」
(決着をつけようと、君を1人で待つあの日、久しいあの日々が、楽しくないわけがないじゃないか)
何度となく囲碁を交わした直虎と政次。
この辞世の歌、政次から直虎への感謝の手紙だったのでしょう。
君と過ごした日々はとても楽しかった・・・ありがとう・・・。
直虎にしか理解できない、政次からの「別れの手紙」だったのでしょうね。
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「近藤康用」の最期
ドラマのなかで小野政次を罠にはめた、もみあげの武将「近藤康用(やすもち)」はその後、どうなったのでしょうか?
小野政次や井伊直虎を罠にはめて、井伊谷を支配しようとした「近藤康用」。
彼は「菅沼忠久」と「鈴木重時」とともに、「井伊谷三人衆」と呼ばれ、「井伊直政」に従った武将。
しかし1568年の「遠州侵攻」のときは、負傷・加齢が原因で、すでに歩けない体になっていたそうです。この事実からして、ドラマでの「近藤康用の罠」は、完全に創作であることが伺えます。
20年後の1588年、彼は井伊谷で亡くなります。
その息子の「近藤秀用」は、井伊直政の苛烈さと人使いの荒さに嫌気が差し、家出して浪人生活・・・。
その後、1615年の大阪夏の陣で功績を上げ、15000石の井伊谷の領地をもらって立藩しています。
「高橋一生」さんのコメント
「女城主直虎」のクランクアップを迎えた俳優の「高橋一生」さん。
小野政次を演じきった10ヶ月・・・・役者として「死んでも構わない」「今が最高」と思うほどに充実した日々をおくれたとおっしゃっておられました。
歴史上、実在していた「小野政次」は、高橋一生さんが演じたような、「寡黙で主人想いの人間」ではありませんでした。
高橋一生さん・・・彼の演技力があったからこそ、小野政次は心優しい武将として表現できたのでしょうね。
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直虎の今後の苦難
直虎には、まだまだ数多くの苦難が待ち受けています。
史実上、直虎を襲う苦難・悲劇といえば
「武田信玄・最期の三河侵攻」
「瀬名姫(菜々緒)の死」
「武田勝頼の侵攻!長篠の戦い」
などが考えられます。
直虎・・・・徳川に臣従し、第38話からは菅田将暉さん演じる「井伊直政(虎松・万千代)」が登場するようですが・・・これらの苦難をどのように乗り越えるのでしょうか?
井伊直政・・・徳川四天王の1人に数えられ、譜代大名で最大の石高を獲得し、娘を家康の四男「忠吉」に嫁がせ「井伊の赤鬼」と称された名将・・・。
直政を守るため、直虎の苦闘は続きます・・・。
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■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・小野政次は井伊の家老で、父の政直は井伊直満を死に追いやった
・その後、小野政次も、直満の息子「直親」を死に追いやった。
・小野政次はその後、井伊の領地を横領し、徳川家康に息子ともども処刑された
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
南無阿弥陀仏・・・。
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