袴田事件の真犯人と噂の長女は現在どこに?真相を知る目撃者が自殺?
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2018年6月11日追記!「再審請求が棄却」
冤罪で有名な袴田事件
真犯人と噂されていた長女はどこにいるのか?
真相を知る唯一の生き残りとされていた長女。
彼女は今・・・・。真相はどこにあるのか?
「生臭寺院」へようこそ。
拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。
下のリンク記事は別タブで開きます。
よろしければお付き合いくださいませ。
南無阿弥陀仏・・・。
■袴田事件とは?
袴田事件・・・・袴田巌氏が犯人とされた残酷な強盗殺人事件。
静岡県清水市で発生した事件ですね。
1966年6月30日、静岡県清水市の「有限会社・王こがね味噌橋本藤作笑点」の専務宅で火災発生。
原因は放火。
その焼け跡から、専務である主人(41)・妻(38)・次女(17)・長男(14)の4名の遺体が発見された。
現場からは現金8万円がなくなっていたという。
唯一の生き残りが、長女(19)。
彼女は一家が眠っていた母屋とは異なる「別棟」にいて就寝していたため、無事だった。
彼女は一家から勘当されていたが、当日は久しぶりに帰宅していたらしい。
事件の数日後、1966年7月4日、警察は被害者が専務を務める「こがね味噌」の従業員で、元プロボクサーだった「袴田巌」氏(当時30)の寮の自宅から、血痕が付着したパジャマを押収。
8月18日に警察は袴田巌氏を放火と強盗殺人の疑いで逮捕
袴田巌氏は容疑を否認し続けたが、9月6日に容疑を認めたため9月9日に起訴された。
1966年11月15日、地方裁判所での第1回公判で袴田巌氏が今度は容疑を否認!!
これから袴田巌氏は45年の間、無罪を主張し続けたのです。
1980年12月12日、最高裁判所で死刑判決。刑が確定
しかし袴田巌氏の弁護団は無実を訴え続けて、再審請求を繰り返した。
2014年3月27日、静岡地方裁判所が再審を開始し、死刑と拘置を執行停止として、袴田巌さんはその日の内に東京拘置所から釈放された。
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■冤罪!!無実の罪で逮捕された袴田巌さん
無実の罪で逮捕されてしまった袴田巌さん。
どうしてこんなことが起こったのか?
最も重要な点は、「袴田巌氏に対する警察の自白の強要」
袴田巌さんが警察から、自白を無理矢理強要したと報じられています。
最近、袴田巌さんが取り調べの時に
「トイレに行きたい」
と警察に伝えたのに対して
「話したら行かせてやる」
と言っていたと、報じられました。
しかも、夏の真っ只中に17時間もの間取り調べをしたとも言われていますし、留置所でも、酔っぱらいの隣の部屋に袴田巌さんを眠らせて、睡眠をさせないこともあったと言われています。
更には暴力まで奮ったとか・・・・。
警察には「自白の強要」以外にも、「証拠の捏造」という疑いがありました。
事件直後、袴田巌さんの自宅から押収されたパジャマ。
そこには血痕が残っていたとしていますが、そのパジャマ・・・・サイズが小さすぎて袴田巌さんが着用できないものだったのだそうです。
検察はそれについて、「1年近くもの間味噌に浸かっていたので、サイズが縮んだ」と主張しています。
縮んだってのは、ちょっと無茶な主張に思えてしまいますが・・・・。
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■唯一生き残った長女!犯人は長女か?
この袴田事件について、唯一の生き残りだった長女。
彼女は、真犯人なのでは?と疑われていたみたいですね。
どうしてそんなことになったのか?
長女は、事件当時、家族から勘当された状態だったのだそうです。
しかし、彼女は事件の日、久しぶりに帰宅しており、別棟のほうが日当たりがよく、体調を崩していた彼女にとって過ごしやすいということから、別棟にて就寝していたんだとか。
長女は、当時祖父宅で生活をしており、偶然事件の日に自宅に帰っていた・・・・。
偶然ですね・・・。
なぜ勘当されたか?についてはあらゆる噂があるみたいですが、高校時代に交友関係に問題があり、登校を拒否していたみたいです。
事件当時、袴田巌氏の犯行については供述していたらしいのですが、その供述が不明瞭だったともいわれています。
彼女は、真相を知っていたとも噂されています。
彼女は今どこにいるのか?
どうやら、亡くなったらしいですね。
しかも、その亡くなったタイミングが・・・・あまりにも・・・・偶然では片付けられないタイミングでした
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■唯一の目撃者が他界!!自殺?
袴田事件の唯一の生き残りだった長女。
彼女は2014年3月28日に亡くなっているのです。
つまり「袴田巌」さんが45年ぶりに釈放された日の翌日に他界。
これは偶然なのでしょうか?
彼女は67歳で亡くなっており、当時は一人暮らしだったそうです。
3月28日、近所の住人が、長女が亡くなっているのを発見。
周辺の住民は「何もコメントすることはない」と言っていたみたいですね。
先述しました「押収された血痕付きのパジャマ」なのですが・・・・袴田巌さんにはサイズが小さくて着用できない・・・と言われていました。
もしかしたら女性用なのでは?という推測もされていたのです。
袴田巌さんが釈放された翌日に、亡くなった。
自殺なのでは?と言われていましたが、警察の調べでは「事件性はない」とのこと。
真犯人が長女という推理には何の証拠もありません。
普通に考えるならば、長女は最大の被害者。
家族4人を一夜で亡くしてしまったわけですから。
周辺の人間は長女の孤独な生活をずっと見続けてきたそうです。
その有様はあまりにも痛々しかったみたいですからね。
真犯人・・・・長女なのか?そうでないとしたら、一刻も早く真犯人が逮捕され、真相が明らかになることを祈るばかりです。
■2018/6/11追記!再審請求棄却!
追記いたします。
東京高裁で、袴田巌さんの再審請求が棄却されました。
しかし、高齢であるということと、認知機能の低下を理由に、再び収監されることはなく、刑の執行もおそらくはされないと考えられています。
検察側は、「最高裁で再審請求が認められることを見越して、高裁は請求を棄却した」とみています。
つまり・・・最高裁では再審請求が認められるのだから、二審では再審請求を棄却しておこう・・・ということです。
・・・・一体どうしてこんなことになるのやら・・・。
東京高裁が本気で「袴田さんが犯人」と考えているなら、再収監をするはずですし、自信をもって刑の執行を進めるはず・・・。
最高裁で再審請求が認められることを祈るばかりです。
■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・袴田事件・・・・袴田巌さんは釈放。
・自白の強要があったらしい。
・唯一生き残った長女は袴田巌氏が釈放された翌日に他界。
・彼女が犯人なのでは?という噂もあったが、証拠は何もなく、普通に考えると1番の被害者。
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
南無阿弥陀仏・・
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