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真田大助の最期とは?最後ではなく実は父と秀頼と生き延びていた?


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大河ドラマ「真田丸」で活躍している若武者「真田大助幸昌」

その最期は後世において美談とされるものだったそうです。

が、実は生存していた!なんて話もあるそうですが

本当なのでしょうか?


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「生臭寺院」へようこそ。

拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。

下のリンク記事は別タブで開きます。

「淀の妹・常高院はスパイでキリスト教徒?大阪城を崩壊させた黒幕?」の記事はコチラ

■目次

「真田大助幸昌」の詳細

美談とされた最期とは?

実は生き残っていた?

真田大助の能力は?かなり優秀だった?

本日のまとめ

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。

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■「真田大助幸昌」の詳細

真田幸村の長男・真田大助

父である真田幸村の大きさに隠れてしまい、その能力や実像はちょっと影が薄いというか・・。

本日はそんな「真田大助」についてご紹介させていただきます。

真田大助・・・・。

正確な名前は「真田大助幸昌」。

関ヶ原の戦いで敗れた真田信繁こと幸村が、紀伊の国の九度山に流刑・幽閉生活をおくっていた14年の間に産まれたとのことです。

母は「大谷吉継の娘」。

大阪の陣が発生したときには13歳くらいだったとか。

祖父は真田昌幸と大谷吉継。

双方ともに「名将」ですね。

「真田昌幸」は「表裏比興の者」と呼ばれ、「小牧・長久手の戦い」で豊臣軍を打ち破り、当時「最強」と噂されていた徳川軍を2度も撃退した戦いの天才。

「大谷吉継」は豊臣秀吉に信頼された武者。

秀吉から「百万の軍を与えて采配を取らせてみたい」と言わせた名将。

その血を引いているサラブレッド「真田大助」。

彼の最期は後世「美談」とされているらしいのですが、どういう最期だったのでしょうか?


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■美談とされた最期とは?

真田大助の最後とはどんなものだったのか?

彼が亡くなったのは1615年の「大阪夏の陣」。

父の真田幸村は大阪冬の陣で堀を壊され、防御力を失った大阪城から出陣し、徳川家康を討ち果たす作戦を立案しました。

その作戦を成功させるために、幸村は「豊臣秀頼の出陣」を進言。

総大将である豊臣秀頼の出陣によって、豊臣軍の「モチベーション」をあげようとしたらしいです。

しかし、淀殿大野治長たちは、幸村たち「牢人部隊」の裏切りを恐れて、秀頼の出陣を拒絶。

それによって幸村はおそらく「敗北」は避けられないことを悟ったのでしょう。

幸村は「真田大助幸昌」を呼びます。そして「豊臣秀頼の側から離れないように」と指示。

これには諸説あり、「秀頼が家康と和睦しようとしているので、それを阻止しろ」と指示したとか、「秀頼の出陣を促せ」と指示したとも言われています。

しかし、おそらくですが幸村はこの時、死を覚悟していたのでしょう。

息子を死なせたくなかったという親心から、最も安全だった秀頼のところへ行かせたのではないでしょうか。

鎌倉時代末期の名将「楠木正成」も、息子を死地に送りたくないと、戦場に赴く前に息子を帰らせてますからね。

それに対して反発する「大助」。

この時、大助くんも、父が死ぬつもりであることを悟っていたのだと思います。

言うことを聞かない大助にブチ切れた幸村。仕方なく大助は秀頼の側に・・・・。

幸村はその後、3500人の兵士を率いて家康の本陣に突撃!

しかし家康を倒すことは出来ず、討ち死に!

残った大助は???

大阪城は炎上!

秀頼と淀殿、大野治長とその母・大蔵卿局は大阪城内の蔵に追い詰められます。

そこで秀頼は自刃を覚悟しますが、周囲の人たちは、まだ若かった大助に対しては「脱出するように」と勧めたそうです。

おそらく父・幸村は息子が生き延びることを願っていたのだと思いますが、大助は脱出を拒絶。

秀頼という主君とともに、父のもとへ行くことを決めます。

最期に「オレは真田幸村の息子だ!!」と叫んで切腹したとも言われています。

豊臣秀頼とそれほど長い付き合いでもないのに、そしてまだ若いのに主君に殉じた武者。

というわけで、大助の死は「武士の鑑」として美談になったらしいですね。

でも・・・・父の気持ちを汲んで、生き延びるのが、現代っ子である拙僧の考える正しい選択だと思うのですが・・・。

どうなんでしょうかね??やっぱり当時はそんなこと考えちゃいけない時代だったのかも・・・。


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■実は生き残っていた?

真田大助幸昌・・・・実は生きていたのでは?なんて逸話が存在しています。

その逸話、元々真田大助にフォーカスされたものではないですが、豊臣秀頼が真田幸村とともに薩摩・現在の鹿児島県に逃げて生き延びた、というものです。

真田幸村は大阪夏の陣で討ち死にして、首を諸将の前に晒されたと言われていますが、幸村には数多くの影武者がいたとか・・・。

そのため、幸村の生存は家康にバレることなく、薩摩の島津氏を頼って、秀頼と大助とともに落ち延びたのだと言われています。

鹿児島県には、実際、秀頼の墓があると言われています。

もしかしたら真田大助・・・・生き延びていたのかな?

と思いたいところですが、おそらくそれはないでしょう。

大きな敵に挑むものを好む日本人の気質を考えると、幸村生存説は「源義経」生存説のような、後世の作り話なのではないでしょうかね。

または当時、徳川家に反感を抱いていても、文句を言えない外様大名たちが、半ば「嫌がらせ」のように「秀頼生存」の噂を流布したのではないでしょうか。

この大阪夏の陣の23年後、1638年、九州で「島原の乱」が起こります。

その指導者だった「天草四郎時貞」は実は「秀頼の息子」なんて言われているらしく「豊臣秀綱」と名乗っていた・・・なんて話もありますが、信憑性に乏しいとか・・・・。

残念ですが、大助や幸村が生き延びていた可能性は・・・低いのではないでしょうかね・・・・。


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■真田大助の能力は?かなり優秀だった?

その能力の全容を発揮することなく若くして他界してしまった真田大助。

彼の能力はどれほどのものだったのでしょうか?

ここからは拙僧の、全く当たらない予想、または「こうであってほしいな」という希望的観測が多分に混じっていますので、どうかご勘弁下さいませ(T_T)

真田大助・・・・結構優秀だったんじゃないかな?と思います。

理由は簡単で「真田昌幸」に幼い頃から親しんで育てられていたから。

真田昌幸が天才的武将だったことは先程述べました。

そんな昌幸のもとで、長く暮らしてきたのですから、兵法を叩き込まれていた・・・・としてもおかしくないのではないでしょうか。

ちなみに、彼の名前「大助幸昌」の「幸昌」・・・・これは元服する際に祖父の「昌幸」を逆さまにして付けられたものとも言われています。

昌幸さん・・・孫の大助をかわいがっていたのでしょう。

母方の祖父である「大谷吉継」って、関ヶ原の戦いで活躍した名将ですしね。

2人の名将を祖父に持つ真田大助・・・・・もしかしたら、父の幸村以上の能力があった・・・・かもしれません(゚∀゚)

そうであってほしい!!(^_^;)


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・真田大助は、大阪夏の陣で、豊臣秀頼とともに自刃している。

・彼の死は、後世で美談として好まれたらしい。

・秀頼とともに薩摩で生き延びた・・・という伝説があるらしいが、おそらく創作だろう。

・祖父譲りの名将の才能があった・・・と思いたい・・・。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

よろしければコチラの記事も合わせてお読み下さいませ。

リンク記事は別タブで開きます。

「真田丸の阿茶局は、大阪城を無力化した天才軍師だった?」の記事はコチラ

「カルバリン砲の威力と射程距離は?大阪城を破壊し、スペイン無敵艦隊をも打ち破った兵器だった?」の記事はコチラ


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