キューバ革命を超わかりやすく説明!亡くなったカストロの偉業とは?
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キューバの「フィデル・カストロ」前議長が亡くなられました。
カストロ議長が革命家チェ・ゲバラとともに成し遂げた「キューバ革命」
その「キューバ革命」をわかりやすく解説します。
「生臭寺院」へようこそ。
拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。
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南無阿弥陀仏・・・。
■フィデル・カストロ氏・死去
2016年11月25日、革命家「チェ・ゲバラ」とともに「キューバ革命」を成し遂げたキューバのフィデル・カストロ前議長が亡くなりました。
享年90歳。
カストロ前議長は、当時親米派だったキューバのバティスタ政権を打倒し、その後、約50年に渡って最高権力者の地位にいました。。
徹底的にアメリカに抵抗を続け、反米勢力の象徴のような存在でしたね。
カストロ前議長は元々、キューバのさとうきびの農園で育ち、酷い環境で働かされる労働者たちを観て成長したと言われています。
そして、アメリカに実質的に支配されていた母国キューバを独立させるために革命闘争を開始。
アルゼンチンの革命家「チェ・ゲバラ」の協力を得て、ゲリラ戦を展開し、新米政権妥当を果たしたのでした。
最近のキューバは、弟のラウル・カストロ氏が後を継いで、アメリカとの国交を正常化させ、東西冷戦が完全に終わったことを示唆しています。
さて、そんなカストロ前議長が達成した「キューバ革命」とは何なのでしょうか?
わかりやすく解説致します。
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■「キューバ革命」をわかりやすく解説
キューバ革命とは、簡単に一言で言ってしまうと「キューバのアメリカからの独立闘争」のこと。
ここでは、「わかりやすく解説」することを目的としているので、史実と多少異なるところもあると思いますが、どうかご勘弁下さい(^_^;)
19世紀、キューバはスペインの植民地でした。
それに反発したキューバ人は、独立戦争を開始。
しかし独立を勝ち取ることは出来ず、そんな中で1898年、アメリカとスペインの「米西戦争」が勃発します。
これに勝利したアメリカは、スペインとパリ条約を結び、キューバの独立を認めさせます。
結果としてキューバはアメリカに保護される「保護国」という事になりますが、経済的にも、そして軍事的にも、キューバは実質的にアメリカの「植民地」でした。
そんな中で、1952年。クーデターを起こしたフルヘンシオ・バティスタが、政権を奪取。
しかしそんなバティスタ氏も新米派となっていくわけです。
これに対して反発を強めていくのが「共産主義」を掲げる勢力。
独立を志し、平等な社会を実現しようとする勢力にとって、アメリカによる傀儡政権であったバティスタ政権は耐えられなかったのです。
1953年7月26日、弁護士だったカストロ前議長や弟のラウル・カストロが加わった反バティスタ派の集団が、キューバのモンカダという地にある兵士たちの宿営地を襲撃。
しかしこの行動は失敗し、カストロ前議長たちは逮捕されます。
判決は懲役15年。しかし、1955年、カストロ前議長は恩赦を受けて釈放され、カストロ兄弟はメキシコへ亡命。
メキシコへ亡命したカストロ兄弟は、武装蜂起した日、7月26日を名前に利用した「M26」という組織を結成。
革命運動が沈静化することはありませんでした。
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メキシコでカストロ兄弟は、アルゼンチンの医師であった「チェ・ゲバラ」と出会い、1956年11月にキューバでの革命を目指して82人でメキシコを出発します。
その時、82人が乗り込んだ船は「グランマ号」。8人乗りのボートでした。
しかし、カストロ前議長は、何を考えていたのか?ことを起こす前から「キューバに帰還する」と大声で宣伝していたため、キューバ上陸とともにバティスタ軍に包囲されてしまいます。
結局、82名の仲間のうち、生き残ったのは12名。
生き残ったカストロ兄弟とチェ・ゲバラなどのメンバーは、山岳地帯でゲリラ戦を初めたのです。
その後、1958年。民衆の支援を受けて、800人まで力を増した革命軍はカストロ前議長とチェ・ゲバラの2つの部隊に分かれて首都ハバナへ向けて進撃を開始。
圧倒的に不利だったはずの革命軍は、掃討に出撃した政府軍を尽く退けました。
理由は正規軍が戦闘を放棄したため。
つまりアメリカの傀儡政権だったバティスタ政権は支持を失っていたわけです。
バティスタ氏は1959年の正月にドミニカ共和国へ亡命。
その後、カストロ前議長が率いる革命軍は首都ハバナに入り、革命が成就します。
こうしてカストロ前議長は首相に就任。
キューバ革命により、新米政権を倒したカストロ前議長は、独立を勝ち取り、その後アメリカとの関係修復に乗り出すも上手くいきませんでした。
その為ソ連と接近し、アメリカを牽制!!
これに危機感を抱いたアメリカはキューバとの国交を断絶。
1961年1月3日に始まった国交断絶は、2015年7月20日にバラク・オバマ大統領とラウル・カストロ議長により国交回復がなされるまで54年も続くことになります。
つまり「フィデル・カストロ」はアメリカからの独立を勝ち取った「キューバの英雄」ってことですね。
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■カストロと金正恩の違いとは?
さて、カストロ前議長の死去が大きなニュースとなっているわけですが、カストロ前議長・・・・なんだか結構人気者な気がするのですが気のせいでしょうか?
お隣の北朝鮮の「金正恩」とは大違いのような気が・・・・。
これは気のせいではないみたいです。
アメリカでは、カストロ前議長は「最悪の独裁者」と言われていますし、実際独裁者だと思います。
しかし、フィデル・カストロ前議長は、独裁者によくある「自画自賛のオンパレード」などを一切禁止し、自分を崇拝するような行為を国民に強いたこともありません。
更に、キューバでは教育費などが無料
医療費もほぼ無料に近い状態です。
国民の一人あたりの月収は15ドルと、多くはないですが、超低額の配給を受けることも可能なのだとか。
こういった政策を実行し、更には独裁者によくある「海外口座の超高額の個人資産」も、フィデル・カストロにはないらしいですから、人気を集めるのも当然なのかも。
そして、カストロ前議長の家族に、政治家は弟のラウル・カストロのみ。子どもたちも政治の高官というわけではありません。
金正恩のような「一族世襲」とは異なっているみたいです。
以前、キューバ出身のタレントが日本のテレビ番組に出演し、「キューバ人はフィデル・カストロを心から愛している」とコメントしていた事がありました。
愛されている・・・・という点からして、金正恩さんと違っています。
まぁ、金正恩さん・・・・国内では「愛されている」ということになってるみたいですが・・・・。
フィデル・カストロさんは「親日家」として有名ですね。
2003年に来日し、広島原爆ドームを視察。先日は安倍総理とも会談。
WBC決勝でサヨナラを演じた「イチロー」を讃えるなど、日本にとっても親しい人物です。
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■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・キューバのフィデル・カストロ前議長が死去。
・カストロ前議長は「キューバ革命」を成し遂げた人物。
・金正恩とは異なり、国民を大切にする独裁者だった。
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
南無阿弥陀仏・・・。
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