上杉鷹山名言「為せば成る」の真の意味とは?ケネディも尊敬してた?
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上杉家米沢藩第9代藩主「上杉治憲」こと「上杉鷹山」
彼の名言「為せば成る」。
実は異なる意味があった?
アメリカの名大統領「ジョン・F・ケネディ」も尊敬した、愛情あふれる名君「上杉鷹山」とは?
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拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。
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南無阿弥陀仏・・・
■上杉鷹山について
上杉鷹山・・・・戦国時代の名将「上杉謙信」から数えて10代目の上杉家当主にして、米沢藩の9代目藩主。
鷹山が上杉家を治める前の米沢藩は、約150億円から200億円ほどの借金を抱えた借金大国だったそうです。
その理由は「家来が多すぎる」ということ。
上杉家は関ヶ原の戦い前までは120万石の大国でした。
しかし、関ヶ原の戦いで敗北したため、領地を4分の1に減らされてしまいました。
それなら家来をリストラするのが常識!!
でも、上杉家の家老だった「直江兼続」さんは、リストラせずにそれまでの家来全員の職を守り通したのです。
その人数、実に6000人。そのおかげかどうかわかりませんが、当時直江兼続は奸臣・・・つまり「悪代官」だと言われていたみたいです。
その後、お家騒動が起こってしまい、領地の半分を幕府に持っていかれて、半分の15万石に!!
その為、出費がかさみまくって、関ヶ原の戦いから160年後、気がついたら借金200億円・・・・。
そのピンチを救ったのが名君「上杉鷹山」
彼は実は上杉家の人間ではなく、現在の宮崎県にあった「高鍋藩」という九州の人物。とはいえ産まれたのは江戸ですけどね。
母方のおばあさんが、上杉家のお姫様だったため、その血縁から、上杉家の8代藩主「上杉重定」の養子になったのです。
上杉謙信の血をしっかりと引いていたってことですね。
彼は養父である「上杉重定」の娘である「幸姫」を妻に貰いました。婿養子ってことです。
彼は苦労しながらも、上杉家の200億円の借金を返済していきました。
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■改革で200億円の借金を完済!
上杉家はとてもプライドが高い家だったそうです。
その為、上杉鷹山は改革にかなりの苦労をしたと言われてます。
鷹山は自分の生活費を徹底的に倹約しまくって7分の1まで縮小。飢饉のときの食事はお粥で我慢したんだとか。
そして農業を奨励して、侍の家来にも農業をやらせ、自分も田畑で仕事をしてました。
さらには徹底的に質素倹約を奨励しまくったため、上杉家の家来たちは大反発をしたそうです。
多分上杉家の家来たちも、「財政再建」の必要性は大切だと思っていたんだと思います。
しかしその手段が「節約」ってのが受け入れられなかったんでしょうね。
今の時代でも、「節約はだめ・でも財政再建は必要!そこをなんとかするのが政治家の仕事だろ!」なんて無茶を言う人がいますけど、正攻法でなんとかしないとその場しのぎになっちゃいますからね(^_^;)
上杉鷹山さんもそのことを知っていて、改革を断行したのでしょうけど、反対派との対決は随分と血なまぐさいものになったみたいです。
上杉家の家来たちは、上杉鷹山に改革反対を進言するという「七家騒動」という事件を起こしました。
有力家来7人が、上杉鷹山に改革反対を訴えていた際に、上杉鷹山がその場を立ち去ろうとした時に、着物の裾を掴んで押しとどめたとか。
それは当時なら切腹もんの重罪。
これを利用した「上杉鷹山」は2人を切腹させて残り5人を引退に追い込み、反対派の弾圧に成功。
大阪市長だった橋下徹さんが、改革を断行するために「独裁並みの権力が必要だ」と言ってました。
上杉鷹山も、改革のために死者を出していたんですね。
橋下徹さんに対して「改革は話し合いで」と言った人がいたらしいですがそれに対して橋下徹さんは
「話し合いなんて毎日やってます」
と言い返したそうです。確かに「既得権益」を持つ人間に対して「その権益を捨てなさい」と言っても、頷くわけがありません。
いくら話し合いを続けたって、交渉を続けたって100年だって平行線が続くだけでしょう。
交渉が上手いとか下手とか、そういう問題ではなかったんじゃないでしょうか。
織田信長だって、既得権益を持つ延暦寺を焼き討ちにしているわけですし・・・・・為政者には覚悟が必要なんですね・・・。
上杉鷹山はその後、質素倹約と商業・農業奨励を推進して、借金を返済。
上杉鷹山の11代藩主「上杉斉定」の代には200億円の借金を完済しました。
やりますね!!上杉鷹山!
ジョン・F・ケネディが尊敬したのもわかる気がします。
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■ジョン・F・ケネディも尊敬?その愛情に?それとも執政に?
駐日大使で、ケネディ大統領の娘、「キャロライン・ケネディ」さんが言っていたみたいです
「父は上杉鷹山を尊敬し、その考え方に影響を受けていました」
と・・・・・。
実はケネディ大統領自身が
「上杉鷹山を尊敬してます」
って発言していたみたいです。
ケネディ大統領といえば、「キューバ危機」というソ連との全面核戦争の危機を乗り切り、オズワルドに暗殺されてしまった大統領です。
ケネディ大統領は上杉鷹山の執政を尊敬して学び、お手本にしていたみたいです。
しかし、気になるのですが、ケネディ大統領は上杉鷹山の政治能力のみを尊敬していたのでしょうか?
上杉鷹山って、実はとっても愛情深い人物だったそうです。
もしかしたらその人柄を尊敬していたのかも・・・・。
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上杉鷹山の人柄を物語るエピソードはたくさんあります。
上杉鷹山の妻は、養父・重定の娘「幸姫」。
彼女は幼い頃に鷹山に嫁ぎ、父の重定とはほとんど会うこともなかったんだそうです。
幸姫は発育障害を抱えていたらしく、成人した後も「おままごと」や「お人形」などで遊んでいたのですが、上杉鷹山は彼女を大切にし、一緒に遊んで過ごしたんだとか。
噂では離縁をすすめる話も断ったと言われているようです。
側室は当然おらず、養父・重定に幸姫の状態を知らせることもなかったため、幸姫が30歳でなくなった際に、彼女の遺品にあったおもちゃを目にした重定は初めて娘が発育障害にあったことを知り、涙が止まらなかったとか。
娘を大切にしてくれた鷹山に、感謝の念が絶えなかったのでしょう。
妻への愛情に溢れた夫だったんですね。
まだあります。
ある日、稲の収穫に人手が足りずに困っていたおばあさんが、近くにいたお侍さんに収穫を手伝ってもらったんだとか。
そのお侍さんに、後でお礼に行くといって、どこに住んでいるのかを尋ねると「米沢城」と答えられたため、行ってみると、なんとそのお侍さんが「上杉鷹山」!!
お殿様に収穫を手伝ってもらったんですね。
似たようなお話は日本全国たくさんありますが、実際に証拠として、おばあさんの娘に、そのことを書き記した手紙が残っている・・・・・証拠が残っているのは上杉鷹山だけだそうですよ。
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まだまだあります。
彼には幸姫の後に結婚した妻との間に子供がいたのですが、鷹山が家督を継いだ後に産まれた、養父・重定の子・治広に譲っています。
鷹山が藩主を退いたのは35歳の時、非常に若い内に隠居しています。
その理由は、養父で、治広の実父である重定が生きている内に、彼の実子に家督を譲って安心させたかったという配慮だったと言われています。
ちなみに、鷹山の息子たちは夭折していたそうですけどね。
更には
上杉鷹山は実父が危篤になった時、その枕元で熱心に看病を続け、実父が亡くなった直後に養父「重定」が危篤になったときにも徹夜で看病を続けたんだそうですよ。
徹夜の看病のおかげで養父・重定は回復。
これだけのことを成し遂げた上杉鷹山・・・・・愛情深い人だったんですね。
さて、それに比べてジョン・F・ケネディ・・・(~_~メ)
マリリン・モンローとか女性問題で話題になった人ですよね・・・・。
上杉鷹山の爪の垢でも飲みたかったのか??
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■名言「為せば成る」のもう一つの意味とは?
上杉鷹山の名言として有名なのは「為せば成る 成さねばならぬ 何事も」
この言葉、実はある人物の言葉を真似したものだそうですよ
その人物とは、上杉謙信の宿敵「武田信玄」
武田信玄、こういう言葉を残しています。
「為せば成る 成さねば成らぬ成る業を 成らぬと捨てる 人のはかなき」
これをわかりやすくして、上杉鷹山は
「生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり」
と言ったわけですね
現代訳すると、「強い意志を持ってやれば、どんなことでも出来る」という意味ですが、実はこれにはもう一つの意味があるという噂が・・・。
「やれば出来る」ではなくて、「何事も、やってみないことには、出来るワケない!!まずはやってみること」という「行動を促す」意味もあるんだと言う人もいます。
つまりは「失敗を恐れずに着手すること」を奨励したってことでしょうね。
エジソンも「99%の努力と1%の閃き」と言ったらしいです。
意味は「努力が大切」・・・・かと思ったら、「いくら努力しても、閃きがないと無意味」って意味だったと言われてますし・・・。
もしかしたら、上杉鷹山がこの言葉を口にした意図は、それ以外にももっとたくさんあるのかもしれませんね。
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■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・上杉鷹山は上杉家の養子で、名君
・当時上杉家の200億円の借金を完済した。
・アメリカのケネディ大統領も上杉鷹山を尊敬していた
・上杉鷹山の「為せば成る」は武田信玄の言葉をもじったもの
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
南無阿弥陀仏・・・。
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「悔い改むるに憚り無し」・・・鷹山様は良いことを申されますの~!
私は武蔵の「独行道」が好きで好きで。
身を浅くおもい、世を深くおもう ほか色々 好き!
若い頃、キリシタンの勉強(研究)を神学校にてコチョコチョ
牧師どもの生活態度に呆れ果て、遺憾ながら殴って野に下った。
私自身は野に上ったと思っている。
そもそもニーチェやヤスパース、道元様物を読むな」とぬかしやがった。
思うに、仏教は哲学だから大切にしていただきたいが
神様神様の南蛮物は知恵遅れには受け入れられやすい
受け入れられやすいものは100円ショップ製品と同じですぐに壊れる。
ブッダー・アクバルですね
尤も、千日回峰とかで山を走り回って、阿闍梨になってニコニコしいるような
坊主は阿(呆)砂利。
坊主も文武両道で有った欲しい。
「独行道」を宜しく 嵌ると貧乏と孤独を笑ながら味わえます。