松平忠直の批評!真田丸で活躍したが真田幸村の呪いを受けてご乱心?

大阪夏の陣で「真田幸村」を打ち破った「徳川家康の孫・松平忠直」

大阪城に眠った莫大な黄金を手に入れた後、乱心して失政連発?

真田幸村の呪いか?


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「徳川秀忠の死因は?実は父・家康よりも優れた政治家?」の記事はコチラ

■目次

「松平忠直」の経歴!家康の孫で結城秀康の長男!

真田幸村を討ち取った?

乱心?無茶苦茶なお殿様

幸村の呪い?

本日のまとめ

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。


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■「松平忠直」の経歴!家康の孫で結城秀康の長男!

松平忠直・・・・徳川家康の孫にして、家康の次男「結城秀康」の息子。

その妻は、徳川秀忠の娘「勝姫」。

この松平忠直・・・本来だったら「江戸幕府3代将軍」になっていてもおかしくない人物でした。

どういうことかというと・・・・家康の家督を受け継いだのは三男の徳川秀忠。

松平忠直の父「結城秀康」は徳川家康の次男、つまり秀忠の兄。

長男の「徳川信康」は謀反の罪で自刃していますので、正当な後継者は「結城秀康」だったはず・・・。

しかし、結城秀康は豊臣秀吉に人質兼養子として出され、そこからまた結城家へ養子に出されて結城家を継いでいるため、徳川家の家督を相続することが許されなかったのですね。

結城秀康は、1607年に父の家康よりも早くに亡くなっています。

その後、長男の忠直は、徳川家康の前姓である「松平」の姓を名乗るようになり、越前松平藩75万石を継ぐことになりました。

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■真田幸村を討ち取った?

松平忠直の初陣は、彼が21歳の時、大阪冬の陣。

その大阪冬の陣で、松平忠直は戦争の際にめちゃくちゃ失敗をしてしまい、祖父・家康から叱られました。

「昼寝でもしていたのか?」

と・・・・・。

それに奮起した松平忠直は、大阪夏の陣で、13000の兵を率いて真田幸村と激闘を演じます。

家康の陣めがけて一直線に攻め込んでいった幸村。

そのあまりの破壊力に一度は蹴散らされてしまった松平忠直。

しかし、即座に陣を立て直して、真田幸村の軍を追撃し、真田幸村を打ち破って祖父の家康を救う大活躍。

しかも、彼の家来「西尾」なる人物が、幸村の首を討ち取ってしまいました。

家康にその功を讃えられ、松平忠直は大阪城に眠っていた財宝を与えられることになりました。

見事に大阪冬の陣での失敗を取り戻した・・・ということですね。

しかし、その後、松平忠直は乱心していってしまいます。


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■乱心?無茶苦茶なお殿様?批評!

お殿様は、戦後の論功行賞、つまりご褒美に不満を抱いていたとされています。

松平忠直は祖父の家康から名器「初花」という茶器を与えられました。

しかし、息子の秀忠は、忠直を冷遇し始めました。

あまりにも有力大名だった松平忠直を恐れたと言われています。

そのためか、彼は失政を連発し、幕府の命令であるはずの「参勤交代」を怠り始めます。

病気と偽って江戸に行かず、息子と妻・勝姫を代わりに江戸に行かせました。

それに秀忠は激怒したと言われています。

松平忠直は家来にもかなりまずい命令を出しています。

どういう経緯で気に入ったのかはわかりませんが、家来の母を側室に差し出せ!と無茶苦茶な命令。

年齢は50歳近い年齢だったでしょう。

まさか本気で恋でもしてしまったのでしょうかね?

その家来が拒むと、軍を差し向けてその家来も母も殺害してしまったとのこと。

挙句の果てには刀を振り回して家来を襲うなどなど・・・・。

その乱行は、叔父・秀忠への不満の表れだったとも言われていますが・・・。

最終的に、彼は現在の大分・豊後府内藩に幽閉されることになってしまいました。

その後、表舞台には二度と出ることがなかったのです。

さて、松平忠直・・・・歴史上において、かなり評判が悪いです。

あまりにも喧嘩っ早くて、その凶暴さのせいで亡くなった家来は数多く、いつも酒を飲んで女性をはべらせて大騒ぎしていたんだとか。

一説によると、あまりにも小心者で、その小心を隠すために、わざと刀を振り回して、周囲に自分の存在感をアピールしていた・・・なんて意見もあるみたいです。

流石に褒められた殿様ではなかったみたいですね。

とは言え、デビュー戦で真田幸村を打ち破ったその戦闘能力は、凄まじいものがあるとは思いますが・・・。

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■幸村の呪い?

どうやらこの忠直の乱行。

真田幸村の呪いなのでは?という意見もあったということです。

松平忠直は、秀忠の娘、自分の妻である「勝姫」の命まで狙うようになってしまったのですね。

この真田幸村の呪い・・・・・。

本当なのでしょうか?

拙僧は一応坊主ですから・・・・・そういう呪いって力が存在することはなんとなく分かるんですが・・・現実的に考えて、呪いではないでしょう。

真田幸村といえば、穏やかな人だったと、兄の真田信之が証言していますからね。

真田幸村・・・・彼の首から、諸将は髪を切り取りまくってお守りにしたと言われています・・・・。

そんな「武人の守り」として崇められていた真田幸村が、呪い・・・・。

ちょっと考えにくいですよね。

松平忠直は「躁病」だったと言われています。

秀忠による冷遇に我慢できなかったとも言われていますが・・・・もしかしたら、「自分が正当な3代将軍だ」という思いもあったのかもしれません。

結城秀康も、徳川家に対して敵意を持っていた・・・と言われています。

自分が正当な後継者なのに、その座を失ったことで、父の家康と弟・秀忠を憎んでいたと・・・・。

そして、豊臣秀頼を守るために大阪城に入城して、徳川軍と戦おうとしていた・・・・なんて声もあがってますしね。

父の家康から嫌われていたという結城秀康・・・・養父の秀吉からはめちゃくちゃ可愛がられていたとも言われてますし。

その父・結城秀康の不満を、松平忠直も抱いていたのかもしれませんね。


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・松平忠直は家康の孫。結城秀康の長男

・松平忠直は、大阪夏の陣で真田幸村を討ち取った。

・その後、乱心してかのような失政を繰り返し、最終的に幽閉生活をさせられることになる。

・当時、真田幸村の呪いでは?と言われていたらしい。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

よろしければコチラの記事も合わせてお読み下さいませ。

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「真田丸・真田幸村ときりちゃんのキスシーンは史実通り?」の記事はコチラ

「真田幸村の最期とは?伊達政宗との密約の真の狙いとは?」の記事はコチラ


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