武田信玄は諏訪姫に恨まれてた?彼女は父の仇の子をなぜ産んだのか?
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諏訪姫・・・・正確な名前は不明で「諏訪御料人」と呼ばれています。
彼女は父親「諏訪頼重」を武田信玄に殺害され
武田信玄の側室となって、4男「勝頼」を産みます。
どうして父の仇の武田信玄の側室になったの?
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■「諏訪姫」の詳細
諏訪姫・・・戦国大名「諏訪頼重」の娘で、武田信玄の側室、つまり「正式ではない奥様」とでも言えばいいでしょうか。
正確なお名前が不明のため「諏訪御料人」と呼ばれています。
小説やドラマでは、「湖衣姫」やら「由布姫」なんて名前が付けられてますが、これは作者の創作。
彼女の父親「諏訪頼重」は、武田信玄の義理の弟。諏訪頼重さんの奥様は武田信玄の妹ですからね。
とはいえ「諏訪姫」が武田信玄の姪、というわけではなく、諏訪姫も側室の娘。
彼女は諏訪頼重が武田信玄の手で死に追いやられた後、14歳で側室にされます。
その後、武田信玄の4男を出産し、「諏訪四郎勝頼」と名付けられた彼は後に武田家の家督を継ぎます。
さて、諏訪姫はその後どうなったのか?と言うと、23歳でお亡くなりになっています。
噂によると「かくれなき美人」と言われていたという諏訪姫・・・・。美人薄命ってことなんでしょうかね・・・。
それにしても、どうして諏訪姫は「父親の仇」である武田信玄の側室になったんでしょうかね?
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■信玄さんは諏訪姫を嫌っていた?
どうして諏訪姫は武田信玄に嫁ぐことになったのか?
甲陽軍鑑には「諏訪姫を側室にすることに武田の家来達は猛反対した」と記録されているみたいです。
その猛反対する連中を、軍師と言われている「山本勘助」さんが説得したのだとか・・・・。
そりゃ武田家の皆さん反対するのも無理はありません!
何と言っても武田信玄さんは、諏訪姫のお父さんを死なせているのです。
そんな人を妻にしたら、寝ている間にグサッ!!とやられちゃいます。
やっぱり武田信玄さんは、「かくれなき美人」と言われた諏訪姫に、それだけ惚れていたの?と思ったらそうでもないみたいです(-_-;)
武田信玄さんは、正妻の「三条の方」という人と仲良しだったとか。
それに、信玄さんは、諏訪姫の息子「勝頼」に対して、結構ひどい扱いをしていたらしいです。
なんでも武田家の伝統的なお名前「信」の字を、勝頼にはあげなかったとか。
つまり、信玄さんは「勝頼」さんを「武田家の人間」とは認めなかったってことですね。
実際信玄さんは「勝頼」さんの苗字を、当初は「武田」ではなく「諏訪」と名乗らせていたらしいです。
当初から「勝頼」さんは「諏訪家」の跡取りであって、武田家の人間ではないという扱いだったんですね。
この「勝頼」さんへの仕打ちをみる限り、信玄さんが「諏訪姫」に惚れ込んでいた・・・という説は難しいでしょうね。
では、どうして信玄さんは諏訪姫を側室にしたのでしょうか?
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■武田家が諏訪を欲しがった理由
どうして諏訪姫は武田信玄の側室になったのか?
それを考える前に、まず2つのことをご説明いたします。
2つのこととは「甲斐国の問題点」と「諏訪と甲斐国の位置関係」についてです。
甲斐国の問題点
武田信玄さんが甲斐国の国主になった頃の時代。甲斐国は大国ではありませんでした。
なぜなら甲斐国は、平野部の甲府盆地に、釜無川と笛吹川という二つの大きな川が度々氾濫していたため、土地の生産力が乏しかったのです。
そのため、甲斐国は隣国の信濃国へと遠征していたわけです。
生産力が乏しいと、自国の領民を死なせることになっちゃいますから、生き残るために外に土地を求めたということですね。
ちなみに、なぜ信濃国を遠征先に選んだか?というと、甲斐国の南には大国の今川氏、東には同じく大国の北条氏がいたから、強力な統治者のいない信濃国が最も安全で確実に侵略できる土地だったのでしょう。
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諏訪と甲斐国の位置関係
地図を確認していただけるとわかると思うのですが、甲斐国(山梨県)からみて、諏訪は北東に位置します。
つまり、甲斐国から信濃国への入り口に諏訪は位置しているのです。
その為、信玄さんからすると、この諏訪が敵に回ると、信濃国への入り口に蓋をされてしまう形になるのです。
信玄さんの父の信虎さんも、娘を諏訪頼重に嫁がせて、諏訪に対して懐柔策を取ってますしね。
「だったら諏訪氏をやっつけちまったほうが早いじゃないか!」
と言われちゃうかもしれませんが、諏訪の人達に恨みを抱かれると、統治が上手く行きません。反乱に常に怯えていると、遠征が難しくなりますしね。
しかも諏訪といえば、「諏訪大明神」の「諏訪大社」があります。
武田信玄も「諏訪大明神」を信仰していたということですから、武田家の中にも、諏訪信仰をしている人が多かったことでしょう。下手に戦争できなかったのかもしれません。
そんな理由で武田家のみなさんは、どうしても諏訪という土地が欲しくって、でも下手に戦争出来なくって・・・・というジレンマに陥っていたわけです。
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■諏訪姫が信玄の側室になった理由
さて、どうして諏訪姫は信玄さんの側室になったのでしょうか?
小説やドラマでは、信玄さんが諏訪姫に好意を抱いて、無理矢理にでも手に入れたがった・・・なんて説もありますが実際には違うようです。
諏訪頼重さん、信玄さんの父・信虎さんの頃には、武田家と仲良しでした。実際、諏訪頼重さんは信玄さんの妹を妻に貰っているのですから。
しかし、信虎さんが信玄さんに追放されてしまったことから事態は一変します。
諏訪頼重さんは武田信玄に対して敵対するようになり、信玄さんは「信濃への遠征の道」を確保するために諏訪頼重さんを殺害。
その後、武田信玄さんは甥っ子で、諏訪頼重さんの息子を「諏訪家」の当主に据えて傀儡(操り人形)にしようとします。
しかし、甥っ子だけでは諏訪を支配するのは難しいと判断。
実際、甥っ子からすると伯父の信玄さんは「父の仇」。いつ信玄さんに背くかわかったものじゃないです。
その為、信玄さんはおそらくこう考えたのでしょう。
「甥っ子に諏訪を支配させるのではなく、諏訪姫を側室にして、産まれた子に諏訪を支配させた方がいい。甥っ子と違って息子なら私に背く心配もない」
そして、諏訪姫もおそらく考えたでしょう。
「このままいけば諏訪一族は滅亡。それよりなら父の仇の信玄に頼ってでも、子供を産んだほうが一族は安泰」
諏訪氏からすると、当主を亡くして間もない上に、強敵の武田家がすぐ横にいるわけです。
下手すりゃ滅亡。滅亡するよりは武田家を味方につけて生き残ろう・・・ってことですね。
信玄さんからしても、諏訪一族を滅亡させて、自分で支配すると、統治が上手くいかず反乱が起こる可能性がありますが、諏訪一族を身内にして、彼らに支配をさせれば、領民も安定するでしょう。
そうすれば信濃国への遠征に集中出来ます。
そんなこんなで諏訪姫と信玄さんの利害が一致。側室にして男の子を誕生させましょう・・・と言う事になったわけですね。
とはいえ、これはあくまでも「政略結婚」。互いに好意を抱いていたわけではなくて、計算があるわけで、仲良しってわけにはいきません。
実際2人の間に子供は「勝頼」のみ。それに対して信玄さんと正室の「三条の方」の間には「義信」「黄梅院」「信親」「信之」「見性院」という5人の子供がいます。
おそらく「勝頼」が誕生してからは、互いに用済みとみなしたのでしょうね・・・。
まぁ、「諏訪姫」は立ち位置が微妙で、しかも謎の多い方。小説なんかじゃ設定がしやすいキャラクターということで、「悲劇の美女」という役を与えられているのでしょうけど、意外と計算高いのかもしれませんね。
最近、諏訪では「諏訪姫」というキャラクターのフィギュアがよく売れているみたいですね。
「悲劇の美女」からフィギュアへ・・・。400年以上経過した現在、そんな扱いをされるとは、「諏訪姫」は思っていなかったことでしょう(^_^;)
ちなみにコチラでご説明した内容は、多分に拙僧の「仮説」が混じっていますので、そこんとこはどうか大目に見てくださいな・・・(T_T)お説教はどうかご勘弁を!!
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■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・「諏訪姫」とは「武田勝頼」の母で、武田信玄の側室。
・「諏訪姫」からすると「武田信玄」は父の仇。仲が悪くて当然。
・武田信玄と甲斐国は、信濃国遠征のために、諏訪という土地が必要だった。
・諏訪姫と信玄さんは、男児出産という目的で一致していた・・・のかも・・・。
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
南無阿弥陀仏・・・。
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