毛利勝永の子孫は?最強は真田幸村じゃなくてぶっちぎりで彼だった?

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大河ドラマ「真田丸」で「岡本健一」さんが演じている武将「毛利勝永」
実は「豊臣軍で最強」だった?
「日の本一の兵」と言われた「真田幸村」よりも「毛利勝永」の方がぶっちぎりで最強?
そんな毛利勝永さんの子孫は今どこに?
「生臭寺院」へようこそ。
拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。
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南無阿弥陀仏・・・。
■毛利勝永の生い立ち
一部噂では「大阪の陣」において、豊臣軍の中で「真田幸村」よりも評価されているという「毛利勝永」さん。
大河ドラマ「真田丸」にて「岡本健一」さんが演じておられます。
さて、そんな「毛利勝永」さん。一体どこのどなたなのでしょうか?
調査してみました。
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秀吉の譜代家臣「毛利勝永」
毛利勝永さんのご実家「毛利家」は元々「森」という苗字だったみたいです。
お父さんのお名前は「森吉成」さん。このお父さんが秀吉の家来だったらしいですね。ちなみにお父さんは後に「毛利勝信」と名前を改めています。
さて、織田信長さんが亡くなって、豊臣秀吉さんが天下を制覇する途中、1587年に九州征伐が起こりました。
その際に森吉成さんと息子の勝永さんは、豊前国に6万石の領地を貰って「大名」へ昇進。
その後、2人は中国地方の実力者「毛利家」と同じお名前を名乗ることになり息子は「毛利勝永」さんへとお名前が変わったみたいです。
「九州征伐」の後は、「朝鮮出兵」や、関ヶ原の前哨戦「伏見城の戦い」「安濃津城の戦い」「関ヶ原の戦い」などに参戦。
毛利勝永さん・・・・歴戦の軍人さんなわけですね。
関ヶ原の戦いで西軍についた毛利勝永さんは、領地を没収されてしまい、父と一緒に身柄を加藤清正・次に土佐の山内一豊に預けられます。
その後、1614年に、大阪豊臣家から誘いを受けて、長男「勝家」と一緒に大阪城に入城したわけですね。
さて、ここからが問題ですね。
どうして毛利勝永さんは「真田幸村」さんと差し置いて、一部で「最強」なんて言われるようになったのでしょうか?
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■実は真田幸村を差し置いて「最強」だった?
「大阪の陣」は「冬の陣」と「夏の陣」の2度勃発した戦役です。
「毛利勝永」さんが有名になったのは、「夏の陣」ですね。
冬の陣は「豊臣軍」が大阪城に立てこもった戦争でした。
真田幸村さんはそこで、大阪城南側に「真田丸」という「出城・出丸」を築いて徳川軍に対抗し、有名になりました。
それに対して毛利勝永さんは「冬の陣」ではあまり目立っていません。
毛利勝永さんが有名になったのは「夏の陣」。
この時の毛利勝永さんの働きがめちゃくちゃすごかったので「最強」と言われるようになったみたいですね。
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大阪夏の陣「天王寺口の戦い」
1615年5月7日。「天王寺口の戦い」
真田幸村さんは、この「天王寺口の戦い」で徳川家康の首を取るために作戦を立案。
四天王寺に毛利勝永さんは、真田幸村・大野治房・大野治長と一緒に布陣。
家康と、その家来たちの軍団と真正面からぶつかる形を取ります。
そして、キリスト教徒である「明石全登」さんが率いる、キリスト教徒の精鋭騎馬部隊に、茶臼山の南側を迂回して家康の背後に回らせておき、幸村・勝永たちは守備戦に徹することで家康の周囲の部隊を引き付けて家康を孤立させる。
その隙をついて明石全登さんに奇襲させて家康を打ち取る。という作戦でした。
この作戦に必要なことは二つ、「豊臣秀頼が大阪城を出陣して軍にやる気を出させること」「明石全登が家康の背後に回るまで、開戦しないこと」でした。
結果から言うと、これ両方とも失敗します。
豊臣秀頼は大阪城から出陣せず、また、明石全登が家康の背後に回り込む前に開戦してしまいます。
実はこの「明石全登が家康の背後に回り込む前に開戦」してしまったのが毛利勝永さんだったそうです。
敵から鉄砲を打たれた毛利勝永隊は、即座に応戦。幸村さんは「撃つな」と毛利勝永さんに対して要請し、勝永自身も「応戦するな」と指示したらしいのですが、すでに銃撃戦は始まってしまい、沈静化出来ない状態に陥りました。
ヤケクソになった真田幸村さんは家康めがけて突っ込み、「真田日本一の兵」と言われるようになりました。
さて、対する毛利勝永さんはといえば?
自身が意図しない形で開戦してしまった「天王寺口の戦い」。
真田幸村さんはブチ切れて、3500人の軍を率いて家康に突撃。
毛利勝永さんは4000人の兵士を率いて家康軍に正面から挑みました。
戦った相手は「本多忠朝」「小笠原秀政」、「浅野長重」「諏訪忠恒」「松下重綱」「酒井家次」「本多忠純」などの部隊。
毛利勝永さんはこれらの部隊をあっという間に次々と倒していったそうです。
毛利勝永隊は4000人。対してこれらの部隊を合わせると、諸説あるみたいですが大体15000人くらいだとか。
しかも、これらの敵を撃破した後、真田幸村隊が壊滅したと知り、「藤堂高虎」隊が毛利勝永隊へ襲いかかり、返り討ち。(毛利勝永隊が押されて大阪城に退却した、とも言われているみたいです)
更には「細川忠興」「井伊直孝」の部隊が襲ってきましたが、なんとか防ぎきって、毛利勝永さんは大阪城に退却。
毛利勝永の戦いぶりを見ていた「黒田長政」さんが、「あいつ誰だ?」と「加藤嘉明」さんに尋ねたそうですね。
それに対して
「毛利勝信さんの息子さんだよ」
と応えた加藤嘉明さん。
「ついこの間まで、まだガキだと思っていたら、やるじゃねーか!」
と黒田長政さんを驚かせたそうですね。
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江戸時代には、神沢貞幹さんという方が毛利勝永について、こう言ってますね。
「おしいなぁ。後の世の人は『真田を口にしても、毛利を口にしない』」
なんて言ってたみたいですね。
どうして「毛利勝永さん最強」なんて言われるようになったのか?
それはたった4000人で、15000人に真正面からぶつかって勝っちゃったから、でしょう。
中には、「毛利勝永が倒した相手はほとんど実戦経験がないデビュー戦だった」なんて意見もあるみたいですが、「藤堂高虎」さんと「細川忠興」さんは歴戦の名将ですからね。毛利勝永さんの采配能力は本物だったんじゃないでしょうか。
また、15000というと大軍団な感じがしますが、この軍団は、少数の部隊に小分けした形で毛利勝永隊と戦ったため、元々勝てるわけなかった。なんて声もあるみたいです。
しかし、それにしたって、毛利勝永さん、結構活躍している気がしますけどね・・・。
しかも毛利勝永さんの部隊は、寄せ集めの「牢人部隊」でしたからね。それをまとめ上げる能力は流石だったんじゃないでしょうか。
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■子孫は今どこに?
毛利勝永さんは、「天王寺口の戦い」の後、豊臣秀頼と一緒に自刃して亡くなっています。
その時、一緒に弟の「山内吉近」さん、長男の「毛利勝家」さんも一緒にお亡くなりになっておられるようです。
さて、毛利勝永さんには、次男「太郎兵衛(鶴千代)」くんと、お嬢さんがいたということです。
この「太郎兵衛(鶴千代)」くんとお嬢さんと奥様の3名は、大阪夏の陣終戦時「土佐」にいたらしいのですが、当時10歳だった「太郎兵衛」くんは、戦後に父親の罪を問われて殺害されています。
一説によると、太郎兵衛くんを殺害しようとした土佐のお殿様に対して、徳川家康が「勇士の息子だから殺しちゃイカン」と言って助かった、とされていますが、現実的ではない気がします。
徳川家康は、戦後、豊臣秀頼の息子で幼い「国松」くんを処罰しています。法に厳格な家康が、毛利勝永の息子を見逃すとは思えませんし、敵の一部隊長でしかない毛利勝永の次男を助けるか否か?なんていう問題に家康が口を出したとは思えません。
さて、毛利勝永にはお嬢様が残っていますが、彼女は母親と一緒に命を救われて、土佐に戻されました。
お嬢様についてはこれ以上の情報はありません。
おそらくですが、どこかにお嫁さんに出されたか、又は父と兄のために出家したか、どちらかでしょう。
お嫁さんに行ったのなら、当時の風習からして「毛利」の姓は名乗っていないでしょうし、出家したなら子孫はいないでしょう。
結局、毛利勝永さんの子孫は現在どこにいるのかは不明ですね。
もしも子孫が実在するのなら、おそらくは土佐・高知県にいるんじゃないでしょうかね。
とはいえ、当時、土佐の立場からしてみると「毛利勝永のご遺族」はある意味で「敵側の人間」ですから、口にすることが出来ない状況にあったんじゃないかな?というのは、容易に想像出来てしまうんですが・・・・大切に保護されたと信じたいですね。
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■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・毛利勝永は、元々父親と一緒に豊臣秀吉の家来として働いていた。
・毛利勝永最強説の理由は、少数の部隊で、数倍の敵を撃破したため。
・長男と次男が亡くなっており、お嬢さんの情報は皆無。子孫の存在も不明。
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
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