桶狭間の戦いをわかりやすく説明!井伊直盛の死で直虎は大出世する?

桶狭間の戦いをわかりやすくご説明!

桶狭間で亡くなった井伊直盛・・・。

実はこの井伊直盛の死が、井伊直虎たち井伊家を飛躍的に出世させたきっかけ?


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「戦国時代(大河ドラマ関連)」の記事はコチラ
井伊直政直虎の関係とは?」の記事はコチラ
井伊家は今川家の中で結構大きな勢力だった?」の記事はコチラ

■目次

「桶狭間の戦い」における勢力差の真実

桶狭間の戦いをわかりやすく説明

井伊直盛が死んで直虎が出世?

本日のまとめ

その他の記事

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。

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■「桶狭間の戦い」における勢力差の真実

桶狭間の戦い・・・・・。

織田信長がわずか3000の軍で、今川軍40000の軍団を打ち破った!という、信長の天下統一事業の始まりとなった歴史の転換点。

上洛・・・つまり当時の日本の首都「京都」に攻め上って天下を取るという目的で出陣した今川義元

対して「梅雨将軍」と呼ばれた信長・・・・。

長篠の戦いやら桶狭間の戦いやら、大切な決戦の時には必ずと言っていいほどに雨が降った織田信長。

その天候を利用して、今川義元の本陣を奇襲して大逆転勝利を勝ち取った!

と言われているそうですが・・・実際は違うようです。

桶狭間の戦いの真実

最近の研究では、織田家と今川家の勢力関係は、意外と拮抗していたと考えられているようですね。

今川軍4万!と言われているようですが、それは相手をビビらせることが目的のハッタリだそうです。

実際には2万5千くらいだったようですが、「それでも多すぎだろ!」という声が後を絶たないんだと言われています。

今川義元が治めていた駿河・遠江・三河という3カ国の生産力は、合計で50~60万石だったそうですね。

これで最大動員兵力を計算すると、大体15000~20000くらいでしょうか。

それから留守をする守備兵を差し引くと、だいたい1万くらいでしょうかね??更に同盟者の武田信玄からの援軍もあったそうですから、もっと兵力があったかも・・・・・。

まぁ拙僧にもよくわかりませんが(^_^;)

対して尾張の織田信長・・・・。

尾張国は肥沃な濃尾平野を抱えており、しかも信長の父・信秀は商売上手で貿易が上手だったため、信長もそれを引き継いで非常に豊かな財力を持っていたのだとか。

尾張の生産力は約50万石

つまり、当時の「尾張」と「三河・遠江・駿河」は「ほぼ互角」だったんだそうですね。

とはいえ、この時、織田信長は尾張を制覇していたわけではなく、一部を今川に抑えられていた状態。

双方の兵力差があったことは間違いないとは思いますが、チマタで噂されているほど差があったわけではないのかも。

そして、桶狭間の戦いは、今川義元が上洛するための軍事行動だった・・・・と言われていますが、織田信長を倒した後、京都までの道筋には「美濃・斎藤氏」「南近江・六角氏」「畿内・三好氏」などなど、強敵が数々いますので、今川義元もそこまで制圧することができるとは思っていなかったでしょうね。

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■桶狭間の戦いをわかりやすく説明

1560年5月、今川義元は尾張に向けて進軍を開始。

先発隊を務めた「松平元康(後の徳川家康)」は、尾張国内にある今川方の城・大高城へ。

大高城は織田信長の軍団に包囲され、食料が乏しくなっていた状態でした。

実は桶狭間の戦いは、尾張国内にある今川方の城を救援するために今川義元が出陣したものだったんですね。

松平元康は大高城への兵糧補給に成功。

その時、信長は居城の清州城で「籠城」と「出撃」のどちらにするのかを悩んでいたとか。

ただ、織田家の周囲には、「後詰め」と呼ばれる援軍を差し向けてくれる勢力がありませんでした。

この後詰めが無くては、籠城はジリ貧となること明らかだったため、信長は出撃を決めたと言われています。

信長は織田の家来たちの中に「今川義元のスパイ」がいることを用心し、軍議を開くこと無く、「軍議は開かないから帰宅して寝ろ」と家来たちに命令。

その後、単身で城を出撃。驚いた家来たちは信長の後を追い、2000ほどの兵士が信長に追いついたところで信長は今川義元を奇襲すると宣言したそうです。

周囲にスパイをめちゃくちゃに張り巡らせた織田信長。

とにかく兵力差がありすぎるため、今川義元の首をとるしか勝ち目はないと知っていたのでしょう。

梁田政綱という家来が、「今川義元は5000の兵士とともに桶狭間で休息中」と知らせてきた瞬間、信長は出撃。

幸い豪雨のため、今川義元は信長軍の接近に気が付かず、しかも桶狭間は盆地だったため、とっさに逃げ出すことが出来ない地形だったとも言われています。

今川義元は馬に乗って逃げようとしたそうですが、信長の馬廻衆に囲まれて、討ち死に。

信長が逆転勝利を飾りました。

だた・・・・この奇襲作戦には、異説もあると言われています。

信長は清州城を出撃して桶狭間で休息して油断していた今川義元を討ち取った・・・と言われていますが・・・。

実際には、織田信長さん・・・・奇襲なんて考えていなかったとも言われています。

織田信長は確かに桶狭間にいる今川軍に奇襲をかけていますが、元々信長さんはその軍勢が「今川義元の本隊」だとは知らず、ただの敵の先発隊だとしか認識していなかった・・・・のだとか。

たまたま目の前にいた敵に、ヤケクソ気味に殴りかかったら義元さんだった・・・。

そんな偶然あるのか?と思えますが・・・もしかしたら実際はそんなもんだったのかも・・・。

ただ、信長はその後のチャンスを逃しませんでした。

この戦いで今川軍は、総大将今川義元を失っただけでなく、井伊直盛などの主力の武将を何人も失っているんだとか。

機を見るに敏・・・ということでしょうね。井伊直盛が死んでいるということは、織田軍は今川義元の本隊だけでなく、それ以外の軍にも攻撃を仕掛けたということでしょう。

今川からすると外様である井伊直盛を、義元が側に配置していたかというと・・・・・そうではない気がしますので・・・。

織田信長はその勢いに乗って、今川に支配されていた尾張南半分を奪還。しかも三河の一部まで手にしたと言われています。

今川家はこの敗戦で一気に衰退。桶狭間の戦いの9年後の1569年に今川氏真が相模の小田原城へと逃げ込み滅亡してしまいます。

信長はその後、弱体化した今川家に進行するかと思ったら、そうではなく、三河の徳川家康と同盟を結んで背後からの攻撃を防ぎ、宿敵だった美濃の斎藤との戦いに集中していきます。

もしかしたら、今川家を武田などの列強の餌としてくれてやることで、美濃との戦いに集中しようと考えたのかもしれません。

信長・・・・書籍なんかで言われているような、緻密な戦略家ではなく、結構気が短いだけでヤケクソになって突撃しただけなのかもしれませんね。


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■井伊直盛が死んで直虎が出世?

この桶狭間の戦いで、井伊家当主の井伊直盛は戦死しました。

これが転機となって、井伊はどこにでもある弱小領主から「ひこにゃん」で有名な彦根藩30万石の大名となります。

直盛の後継者は、従兄弟に当たる「井伊直親」。井伊直虎の婚約者だった人物。

しかし井伊直親は、井伊家家老の小野政次の密告が原因で今川氏真に殺害されてしまったのです。

その後、井伊家では直虎が当主となって直親の息子「虎松(井伊直政)」を守っていくわけですね。

今川家は桶狭間の戦いの後、徳川家康と武田信玄の圧迫により滅亡してしまいます。

もしも井伊直盛が生きていたなら、後に徳川家康と武田信玄に滅ぼされた今川家と一緒に滅びていたかも。

何といっても井伊直盛は、叔母を今川に人質に取られているわけで。

とはいえ直虎からすると、大叔母が人質と言われても、縁が遠すぎて直虎の行動を抑制する人質としての能力があるとは思えません。

ちなみに大河ドラマでは、その井伊直盛の叔母を「花總まり」さんが演じています。

さらには直盛の妻は、今川の目付け(監視役)で今川家の一族「新野親矩」の妹。

そう簡単に今川を裏切ることはできなかったことでしょう。

しかし、直盛も直親も亡くなり、更には直親も亡くなったことで、直虎は当主となることが出来ました。

しかも彼女のアイディアで、後継ぎの井伊直政を徳川家康に臣従させることを画策。

その計画はズバリ的中し、井伊直政は半外様でありながら、徳川家の家来達の中で最高の石高をもらう臣下となりました。

どうやら井伊直政は、家康が自身で殺害せざるを得なかった息子「信康」と面立ちが似ていたんだとか・・・。そのため家康から大切にされたとも言われています。

直政も信康も、井伊の出身で、「前田吟」さん演じる井伊直平の孫とひ孫ですからね。似てても不思議じゃないでしょう。

今川義元と井伊直盛が亡くなった桶狭間の戦い。

この戦いで直盛が亡くなり、その後、直親もなくなる・・・言い方は悪いかもしれませんが、直虎や井伊家はこの桶狭間の戦いがきっかけで飛躍した・・・・とも言えるのではないでしょうか。

「『おんな城主直虎』第9話『桶狭間に死す』ネタバレ」の記事はコチラ

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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・桶狭間の戦いは、それほどまでに兵力差があったわけじゃない・・・との説がある。

・織田信長は、実は奇襲を狙ったわけじゃなく、ヤケクソ気味にカチコミをかけただけだった。

・直盛が亡くなったこと、直親が亡くなったことで、井伊は飛躍した・・・かも・・・。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

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■その他の記事

よろしければコチラの記事も合わせてお読み下さいませ。

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井伊直親小野政次は宿敵同士?」の記事はコチラ

小野政次の悲惨な最期とは?」の記事はコチラ


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