桶狭間の戦いと大河「井伊直虎」ネタバレ!家康の裏切りと政次の悲劇
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大河ドラマ「井伊直虎」
桶狭間の戦いが放送される回のネタバレ。
家康はどうして裏切ったのか?
更には、「桶狭間に死す」の回で「高橋一生」さん演じる「小野政次」の悲劇が始まる。
「生臭寺院」へようこそ。
拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。
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南無阿弥陀仏・・・。
■井伊直虎「桶狭間に死す」ネタバレ
大河ドラマ「おんな城主直虎」
山場となる「桶狭間の戦い」。
「市川海老蔵」さんが演じる「織田信長」が、東海一の弓取りと称された大敵「今川義元」を打ち破った戦い。
ここから先はネタバレとなりますのでご注意くださいませ
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「桶狭間に死す」ネタバレ
1560年、今川義元は尾張の織田信長を討伐するために数万の大軍団を率いて出陣。
次郎法師の父、井伊直盛も、今川からの命令で「奥山朝利」や小野政次の弟「小野朝直」こと「小野玄蕃」を引き連れて出陣。
次郎は先祖ゆかりの井戸の前で、彼らの無事を祈っていた。
雨が降ってきたかと思い、顔を上げる次郎。
しかしそこには晴天があるのみだった。
その時、井伊谷城にはとんでもない悲報が伝えられていた。
桶狭間の戦いにおいて今川義元が討ち死に。今川軍総崩れ。
絶対に負けるはずもない戦いだったはずなのに・・・・・。
織田信長に奇襲をかけられ、今川義元は首を取られたとのこと。
この後、傷ついた井伊の重臣「奥山朝利」が帰ってきた。
彼が娘婿である「小野玄蕃」について言葉少なに娘「なつ」に語る。
「立派な戦いぶりだった」
その一言で夫の死を知り、涙を流す小野玄蕃の妻「なつ」
次郎法師は朝利に父「井伊直盛」について尋ねるが、彼は直盛とは戦場ではぐれてしまったため、行方がわからないとのみ。
その後、奥山の息子である「孫一郎」が帰陣。
その手には「井伊直盛」の首があった・・・。
孫一郎は、井伊直盛に生命を救われたと語る。
直盛は敗戦を悟り、最期に孫一郎にこう言った。
「私は切腹する。お前は私の首を掲げて織田の兵士を装って堂々と戦場から離れろ。そうすれば井伊の者が1人助かる」
井伊の戦死者は15名。彼らの葬儀をすすめる次郎と南渓和尚。
その後、直親が家を継ぎ、政次が補佐すると思っていたものの、孫一郎がとんでもない直盛の遺言を持ち帰っていた。
「殿が無くなる直前、『井伊谷』を中野殿に任せよと・・・・」
中野直由・・・・・奥山朝利の娘婿で、井伊の戦時担当者。
この遺言について全く知らされていなかった『中野』は驚き辞退しようとするが、戦時である現状を打開できるのは武闘派の中野しかいないと、小野政次や井伊直平が強く推薦したため、後見人として井伊家を守ることになる。
そんな中で奥山朝利だけは、不安を打ち消すことが出来なかった。
彼は直盛が亡くなった混乱状態の井伊家を、小野政次が横領するのではないかと心配し、小野家に嫁いでいた娘「なつ」と孫の「亥之助」を自分のもとに連れ戻そうとした。
(亥之助・・・・後の小野朝之・・・井伊直政に生涯仕え続ける忠臣となる)
しかし「なつ」はこれを拒絶し、小野家に残ることを主張。
次郎はその後、しばらく母の「千賀」の側にいてやりたいと言って、一時的に寺を出る。
すると千賀は山のように手紙を書いている最中だった。
どうやら今回の戦で亡くなった者達の遺族に当てた手紙だそうだ。
「私からの文など慰めにはならないが・・・」
そう言う千賀を見守りつつ、部屋に戻った次郎。
すると机の上に次郎宛の母からの手紙。
そこには父を亡くした次郎への気遣いの言葉、そして、父がどれほど心優しく、強い人であったか・・・。
娘である次郎をどれだけ愛していたかが書かれていた。
「この手紙が、少しでも、あなたをただの娘に戻してくれたら」
その手紙を読み終えて、次郎は静かに涙を流した・・・・。
桶狭間の戦いからしばらく経過した夏のある日、井伊直親の妻「しの」が妊娠。
この知らせに喜んだ「しの」の父「奥山朝利」は、小野政次宛に手紙を送って吉報を知らせる。
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■小野政次の悲劇の始まり(ネタバレ続き)
「しの」の妊娠を知らせる手紙を届けた同日の夕暮れ時、小野政次が奥山邸を訪れ、朝利からの「なつと亥之助」を引き取りたいという言葉を聞く。
なつ自身が戻るつもりはないと言っている・・・・と反論する政次。
それに対して朝利は逆上し「亥之助を渡してしまったら、人質を取られた格好になることが嫌か?」となじると、小野政次が反論。
「考えたこともありませんが、それは、亥之助を渡せば、奥山殿は亥之助を人質として使えるとお思いですか?小野から取った人質と?」
言葉を失い、渋々、政次の言葉に理解を示す奥山朝利。
すると突然、席を立ちった政次に奥山が切りかかった。
「殿が亡くなった今が小野が井伊を支配する好機と思っているだろうが、そうはいかんぞ」
腕を負傷した政次に、更に斬りかかろうとする奥山。
その頃、次郎は「しの」の妊娠を知って神仏に手を合わせていた。
すると、暗闇の中から血まみれの政次が現れた・・・・。
驚く次郎に政次が語る。
「奥山殿を切ってしまった」
政次の悲劇が始まる・・・・。
以上が「桶狭間に死す」のネタバレとなります。
政次・・・・やっちまいましたね・・・・。
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■桶狭間の直後、家康が今川を裏切った?なぜ?
桶狭間の戦い・・・・・織田信長と今川義元の間で行われた戦闘。
この時、徳川家康(松平元康)はどこで何をしていたのか?
家康は今川義元の家来として、桶狭間の戦いで今川方の先方を務めていました。
家康は当時、今川義元の本拠地である駿府で生活をしており、元服・つまり成人した時には今川義元から立派な鎧をプレゼントされ、しかも英才教育を施されるほどに大切にされたとのこと。
家康はそんな義元とともに桶狭間の戦いへ出陣。
しかし今川義元が亡くなると、彼は駿府へ撤退すること無く、あろうことかドサクサ紛れに生まれ故郷である岡崎城を今川から乗っ取ります。
どういうことなのか?
実は家康は今川義元に臣従させられていただけで、元々の家来だったわけじゃないのです。
家康の祖父・松平清康は、三河国を統一した傑物でしたが、織田との戦いの最中に家来に殺害された人物でした。
そして清康の子で家康の父「松平広忠」は、父の偉業を継ぐことが出来ずに幼くして三河から伊勢に逃亡。
今川義元の協力を得てなんとか三河に帰還したものの、その後、病死・又は暗殺で若くして亡くなってしまうのです。
松平家の家来たちは広忠の息子である幼い「家康」を今川義元に預け、その見返りとして今川家の協力を得て、松平の領地を守り通します。
ただ、今川義元は家康が元服しても駿府から岡崎に帰すことはありませんでした。松平の家来たちが再三に渡って家康を返してほしいと希望したにもかかわらず。
今川義元としては、家康を側に置いておくことで、三河を今川の領地として利用することが出来るだけでなく、松平の家来たちを自分の臣下として利用できるということなんですね。
つまり「三河を手に入れておくために、人質として家康を手元においておいた」ということ。
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今川義元は、家康の「育ての親」
家康は駿府で穏やかな日々を過ごしていたことでしょう。家康は後年「人質として苦労した」と証言しているようですが、それは今川を裏切ったことに対する後ろめたさからでしょう。
穏やかな家康に対して、三河の家来たちは常に今川軍の先陣として戦わされ、相当に苦労したと言われています。
家康からすると、今川義元は、いわば育ての親・・・・。しかも父の広忠に助力してくれた恩人でしょう。
しかし、今川義元に使役される三河の家来たちを思うと、義元が亡くなったチャンスに三河に腰を据えなければ、またしても駿府に呼び戻されて人質としての日々を送らされ、家来たちが苦労することになりかねないと思ったのでしょう。
強引な方法でしたが、家康は桶狭間の戦い敗戦後のドサクサにまぎれて岡崎城を乗っ取ってしまったのです。
家康が今川義元を裏切った理由・・・・。
確かに裏切りだったのでしょうけれど、仕方ないことだったんでしょうね。
家康はその後、今川義元の仇である織田信長と清洲同盟を結び、今川氏真に戦いを挑んでいきます。
その過程で家康の妻「瀬名姫」と2人の子供「信康」「亀姫」を今川の人質に取られます。
しかし、瀬名の父である関口親永(又は関口義広)が切腹して瀬名とその子供の助命を嘆願し、その上家康が今川氏真の親戚を捉えて人質交換を申し出たために、家康の元に戻ることが出来ました。
ただ、瀬名姫と信康にはその後、悲劇的な最期が訪れることになるのです。
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■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・桶狭間の戦いで井伊直盛が戦死。
・その後、小野政次が奥山朝利を殺害。
・桶狭間の直後、家康は今川を裏切って岡崎城へ帰還。
・徳川家康の妻、瀬名姫と信康は殺害されかけるが、人質交換で家康の元に無事送られる。
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
南無阿弥陀仏・・・。
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