井伊直親は小野政次と宿敵関係で悲惨な結末に?正室は夫の死後再婚?

大河ドラマ「女城主直虎」

三浦春馬さん演じる「井伊直親」と高橋一生さん演じる「小野政次」

実は幼馴染どころか宿敵関係で、最期は悲惨な結末に?

井伊直親の妻は、直親の死後、再婚したらしいが、相手は誰?


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家康の妻、瀬名姫の最期とは?」の記事はコチラ

■目次

井伊直親と小野政次

井伊直親と小野政次の最期

井伊直親の妻が再婚?相手は?

本日のまとめ

その他の記事

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。

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■井伊直親と小野政次

井伊直親・・・・・遠江の井伊谷を本拠とする「井伊家」の当主で、徳川四天王「井伊直政」の父。

そして今川義元に謀反を疑われて亡くなった「井伊直満」の息子。

対する「小野政次」は、井伊家の家老。

井伊家の家老にして、今川家の目付(監視役)であった「小野政直」の息子。

女城主直虎」では、2人は井伊直虎とともに「幼馴染」として育った仲良し、という設定になっております。

事実、この3名は同年代で、おそらく一緒に遊んで育っただろうことは想像に難くありません。

大河ドラマでは、10年ぶりに井伊谷に戻ってきた井伊直親こと「亀之丞」が、鶴丸こと「小野政次」の出迎えに対して笑顔を向けるシーンがありましたが、おそらくそれは史実とは異なるでしょう。

なぜなら、井伊直親は父の井伊直満を、小野政次の父である小野政直によって殺害されているわけですから。

今川義元に謀反を疑われて死罪となった井伊直満、その死の原因は、目付役だった小野政直の密告によるもの。

確かに小野政次には何の罪もないでしょうし、政直からすると、目付役としての役割を果たしたに過ぎないわけですが、それでも父を亡くした井伊直親の心情を思うと、それほど割り切ることは出来ないでしょう。

2人の関係はおそらく、憎み合い、虎視眈々と互いの失脚を、もしかしたら命まで狙いあう関係にあったのではないでしょうか。

井伊直虎の父・井伊直盛は、婚姻などを通じて「小野氏」を井伊氏の親戚に取り込もうとしたらしいですが、そんなことでわだかまりが溶けるわけでもないでしょうからね。

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■井伊直親と小野政次の最期

井伊直親の最期は、どういう因果なのか父・井伊直満と全く同じものでした。

井伊直満は関東の北条家からの誘いに応じて今川に謀反しようと企んだ罪で処刑されています。

密告したのは小野政直

直満の息子・井伊直親もまた、三河で独立し今川家を裏切った徳川家康と密約を交わして今川から離反しようとした疑いで、今川氏真に殺害されています。

この直親の裏切りを今川に密告したのが、小野政次

父親と同じことをして、直親を父と同じ目に合わせたってことですね。

その政次はどうなったのか?というと、1568年に武田信玄が今川氏真の本拠地駿河に進行した際に、今川氏真から「井伊直親の息子を殺害して援軍を出せ」と命じられ、それを実行しようとします。

幸い直親の息子は井伊直虎達に匿われたため難を逃れましたが、小野政次は井伊の領地を横領してしまいます。

後にそれを知った徳川家康は、自らの家来たちを井伊谷に送って小野政次を捕縛。

その後二人の息子とともに処刑されてしまいました。

小野政次の密告により亡くなった井伊直親と、井伊の領地を横領して処刑された小野政次。

双方ともにあまりにも悲惨な終わり方をしてしまったんですね・・・。

井伊直政はその後、徳川家康に出仕し、半外様であるにも関わらず徳川四天王の1人に名前があがる程に出世。

直政は家康の息子信康と遠縁にあたります。「はとこおじ」とでも言えばいいのか・・・・。徳川信康は井伊直平のひ孫、井伊直政は同じく井伊直平の孫です。

そのため、直政と信康は顔立ちが似ていたという説があるそうで、母親の「瀬名姫」とともに悲惨な最期を遂げた信康に想いを残していただろう家康・・・・・直政が可愛かったから引き立てたのかもしれませんね。


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■井伊直親の妻が再婚?相手は?

さて、井伊直親の妻で、井伊の家来だった「奥山朝利」の娘「奥山ひよ」さん・・・・。

大河ドラマ「女城主直虎」では「しの」という名前で「貫地谷しほり」さんが演じておられます。

彼女が井伊直親の死後、どうなったのでしょうか?

どうやら浜松にいた武士「松下清景」という人と再婚したらしいですね。

再婚したのは直親が亡くなった12年後の1574年。

実は再婚したのにはわけがあったみたいです。

井伊直政こと虎松は、1568年に武田信玄が駿河進行し、小野政次に殺害されそうになった時、養母の井伊直虎は「虎松」を三河の鳳来寺に出家させて逃亡させたのです。

その6年後、虎松が父親の法要のために井伊谷に帰ってきた時、徳川家康は上洛して大勢力を築き上げていた織田信長と同盟を結んでました。

その為、井伊直虎は虎松を将来有望な徳川家康に出仕させようとしたのです。

しかし、それには虎松を鳳来寺に帰さないための言い訳が必要になります。

その言い訳のために、奥山ひよさんが「松下清景」と再婚して、虎松が養子になり、名前を「万千代」と改めて別人になりすましました。

その後、万千代は家康に仕え、井伊家を継ぐことを許されたのだそうです。

そして、奥山ひよさんは1585年に亡くなったと言われています。

彼女が亡くなった時、息子の「井伊直政」はというと、前回の大河ドラマ「真田丸」で有名な第一次上田合戦で大敗した徳川軍の撤退を指揮した功績が認められ、井伊谷6万石に加増されたと言われています。

この前年の1584年の「小牧・長久手の戦い」で、井伊直政は「井伊の赤備え」と呼ばれる赤一色の装備を整えて戦功を上げ、「井伊の赤鬼」と呼ばれるようになっております。

ちなみに直虎が亡くなったのは織田信長が亡くなった年と同じ1582年。

この時、直政は徳川家康の小姓を務めており、家康が「生涯における苦難」と言った「伊賀越え」に同行して家康を助けていました。

井伊直虎も奥山ひよも、直政が家康のもとで活躍する様子を見て、安心していたかもしれませんね。

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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・井伊直親と小野政次の関係は決して「仲良し」ではなかっただろう。

・井伊直親・小野政次、共に悲惨な最期を遂げた。

・井伊直親の妻「奥山ひよ」は、「松下清景」と再婚した。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

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■その他の記事

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