瀬名姫とは誰かを簡単に説明!家康と不仲で暗殺を企て、直虎と絶好?

瀬名姫、通称「築山殿」

彼女は一体何者なのかを簡単に説明。

大河ドラマ「おんな城主直虎」では、主人公「井伊直虎」の友人として描かれている。

彼女が、家康の暗殺を企てたというのは、本当か?


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「井伊直虎とは何者なのかをわかりやすく説明」の記事はコチラ

■目次

瀬名姫とは?簡単に説明

家康暗殺を計画?

直虎を見捨てて絶好?最期は悲惨?

本日のまとめ

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。

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■瀬名姫とは?簡単に説明

瀬名姫・・・・大河ドラマ「おんな城主直虎」で「菜々緒」さんが演じている「松平元康」の妻ですね。

彼女は一体全体どういう人なのでしょうか?

一般的には「今川義元の姪」と言われておりますね。

今川義元は当時、日本でも最強と言われる一大勢力「今川家」の当主。

その姪となると、当時はエリート中のエリートだったのでしょうね。

彼女の父は、今川家の家来「関口親永」、母は一説によると井伊直虎の曽祖父「井伊直平」の娘「佐那姫」。

つまり井伊直虎と瀬名姫は親戚ってことなんですね。

彼女は成長して、後の徳川家康こと「松平元康」の妻となり、長男の「竹千代」こと「徳川信康」・・・そして「亀姫」を出産。

そんな瀬名姫の人生を一変させたのは、1560年の桶狭間の戦い。

彼女の伯父である「今川義元」は織田信長によって敗死。

彼女の夫「松平元康」はそのどさくさに紛れて、それまで人質として過ごしていた今川家の本拠地「駿府」に戻ること無く、生まれ故郷の「岡崎城」を奪い取ってしまいます。

これは、立派な裏切り行為。しかも家康は桶狭間の戦いの翌年、今川義元の仇であるはずの織田信長と清洲同盟を結びました。

裏切り行為を許せない今川義元の息子・今川氏真は、瀬名姫と信康・亀姫の殺害を命令。

娘を守るために瀬名の父「関口親永」は切腹。

大河ドラマ「おんな城主直虎」では、母の佐那姫も処刑されると設定されているようですが・・・・。

瀬名姫と2人の子供は、家康が捕らえた今川の一族との人質交換でなんとか岡崎城へと引き取られたそうです。

ただ、彼女はその後も家康や、家康の母「於大の方」に嫌われて岡崎城に入ることが出来ず、岡崎城近くの「築山」に幽閉同然の生活を強いられたとのこと。

このため瀬名姫は「築山殿」と呼ばれるようになったんです。

夫・家康の裏切りによって両親を亡くし、しかも幽閉生活を強いられた・・・。

家康への恨みは相当なものだったでしょうね。

そして、悲劇が起こるのです。


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■家康暗殺を計画?

家康はその後も、背後の織田信長との同盟を重視して、今川家への進行の手を緩めませんでした。

そして遠江の国を奪取し、浜松に築城してそこを本拠地としました。

息子の信康は岡崎城の城主となり、瀬名姫こと築山殿も、岡崎城に残ることになったのです。

信康の妻として、伯父の仇である「織田信長」の娘「徳姫」が岡崎城にはいました。

嫁姑の仲はそれほどよくなかったと言われています。

徳姫はそんな苦しい胸の内を、父の信長に手紙で送りつけていたそうです。

そして・・・・・信長はある手紙を手に入れることになるのです。

それは、武田勝頼へ家康の長男・信康が送った手紙。しかもこの手紙を送った信康の背後には瀬名姫の影も・・・。

武田家は、織田・德川連合軍と戦争をしていた最中でした。

その為、家康は信康の裏切りを怒り、家康に対して信康・瀬名姫の殺害を命令。

家康は信長の家来ではなかったですが、この頃には両者の勢力差は圧倒的で、家康はこの命令を断れば、信長に滅ぼされかねない状況。

瀬名姫は、父を死に追いやった家康を恨み、暗殺を企てたとも言われているようです。

子供の信康と一緒に徳川家を乗っ取り、武田家と協力して織田信長と戦おうとしたとのこと。

家康への瀬名姫の恨みは、かなりのものだったでしょうね。


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■直虎を見捨てて絶好?最期は悲惨?

瀬名姫・・・・大河ドラマ「おんな城主直虎」では、主人公の井伊直虎と仲の良い友人として描かれているようです。

大河ドラマでは、史実とは異なり、独自の脚本で構成されているようなので、実際2人が友達だったかどうかはわかりません。

ただ、「大河ドラマ」では、どうやら瀬名姫は、直虎の窮地を救うことが出来ず・・・・という設定のようですな。

どういうことかというと、井伊直親が、衰退していく今川家を見限ろうと家康と密会。

しかし、それは罠で、家康と思って密会した相手は今川家の家来でした。

その為、今川は井伊の裏切りを怒り、直親に駿府へ来て釈明せよと命令。

直親が生きて帰ることが出来ないと感じた井伊直虎は、友人である瀬名を通して家康の保護を求めました。

しかし、瀬名姫は幽閉されていた状況と、父を亡くした悲しみ・・・・家康にそれほどの余力はないという事実から、直虎への助力を断るのでした・・・。

2人が史実上でも友人だったかどうかは不明です。

ドラマではこの家康の助力を求める直虎の願いを、瀬名姫が断ったことから、井伊直親は亡くなってしまうことに・・・。

直虎は・・・・瀬名姫をどう思ったのでしょうね??

瀬名姫の最後

瀬名姫の最期は非常に無残なものだったということです。

彼女は息子の信康が謀反を疑われて二俣城に幽閉されたことを知り、助命を願い出ました。

しかしそれは叶わず、二俣城へ移動する途中で、彼女は家康の家来に惨殺されるのでした・・・。

信康はその後、切腹を命じられて亡くなるのです。

この「信康事件」・・・・これまでは信長の命令で行われたと言われていましたが、近年では家康の独断とされているみたいです。

家康は信康を処断するにあたって、信康の妻の父である信長に相談。

すると信長は「家康の好きにするといい」と返答したらしいです。

確かに・・・信長がいかに残忍であったとしても、同盟者の家康に「妻子を殺害しろ」なんて命令するとは思えませんからね。

謀反を起こそうとした妻子を殺害・・・・これは、謀反を二度と起こさせないためには、仕方なかったのかもしれませんね。


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・瀬名姫は今川義元の姪で、家康の妻。

・彼女は父と母を、家康の裏切りのせいで亡くしている。

・武田勝頼と密約して、家康を殺害しようとしたらしい。

・最期は家康の家来に惨殺された。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

よろしければコチラの記事も合わせてお読み下さいませ。

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「井伊直親と小野政次は親友ではなく宿敵同士?」の記事はコチラ

「小野政次の最期は悲惨?」の記事はコチラ


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