織田有楽斎は有楽町に住んでいたというのは嘘?江戸に住んだことない
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大河ドラマ「真田丸」で「裏切り者」として描かれている「織田信長」の弟「織田有楽斎」
彼の「有楽斎」という名前が「東京・有楽町」という街の名前の語源だと言われているが
実はそれは、信憑性がなかった?
「生臭寺院」へようこそ。
拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。
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よろしければお付き合いくださいませ。
南無阿弥陀仏・・・。
■織田有楽斎のプロフィール
織田有楽斎・・・・本名「織田長益(ながます)」。
1547年生誕。
没年派1622年
織田信長の弟で、13歳の年齢差があったそうです。
つまり本能寺の変で織田信長が49歳の生涯を終えた時、有楽斎は36歳だったってことですね。
有楽斎さんは「織田信長」のような気合の入った武者ではなく、茶道に優れた方だったらしく、茶道の大物「千利休」さんの優れた10人の弟子「利休十哲」の一人に数えられたそうです。
晩年は茶道の流派「有楽流」を創始したらしく、子孫は今もその「有楽流」を守っているらしいですね。
他の茶道との違いは、「武士」としての作法を重視し、武器を携帯してお茶をたてること、だとか。
■有楽町の名前の由来は「有楽斎」?
織田有楽斎さん・・・・。東京有楽町の名前の由来と言われているみたいですね。
これって本当なのでしょうか?
どうやら、関ヶ原の戦いで徳川家に味方した織田有楽斎さんは、現在の有楽町に屋敷をもらったそうです。
その屋敷跡が「有楽原」と呼ばれたことから、明治時代に「有楽町」と名付けられたと噂されているとか。
しかし、有楽斎さんは、大阪夏の陣で豊臣家が滅びるまで、ほとんど関西で生活をし、大阪夏の陣後も京都を生活の場としていたらしいです。
そして、有楽斎さんが江戸に屋敷を構えていたという記録もないとか。
この有楽町の名前の由来は、江戸時代当時、海岸だった「有楽町」の辺りは「浦原」「浦ヶ原」と呼ばれており、その名前が転じて「ゆうらくちょう」になったのではないか・・・・と言われているそうです。
同じ「有楽」という字を書きますからね。
でも読み方が「有楽斎(うらくさい)」と「有楽町(ゆうらくちょう)」で異なってますからね。信憑性は低いのでは?
しかも、有楽斎さんは32000石の小さい大名でしたから、それほど大きな屋敷だったとは思えません。
「有楽町」という地名に、彼の名前が使われた可能性は低いのではないでしょうか??
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■有楽斎さんの最期
有楽斎さん・・・・最期はどんな感じだったのでしょうか?
大阪夏の陣で豊臣家が滅び、姪「淀殿」とその子「豊臣秀頼」さんが亡くなった後、有楽斎さんは京都で隠居生活。
そこで茶道に熱中したと言われています。
彼は32000石の領地を持っていましたが、その領地を四男の「長政」と五男の「尚長」、そして有楽斎の3人で1万石ずつ分け合ったとか・・・。
当時「分配相続」はあんまりやられませんでしたが、織田有楽斎さんはそれをやっちまってます・・・・。
江戸時代、外様大名は幕府の「改易」に怯えて領国を支配していました。
もしかしたら、織田有楽斎さんは、自身の領地を分割することで、「織田家」の家名を残すためのリスク分散を図ったのかも・・・。
実際には、四男「長政」の芝村藩、五男「尚長」の柳本藩は、双方共に明治まで存続します。
話を戻します。
織田有楽斎さんは、大阪夏の陣の6年9ヶ月後、1621年に京都でお亡くなりになられます。
享年76歳。
趣味に没頭して、平穏に亡くなられたみたいですね。
本能寺で壮絶に亡くなった兄と同じ京都で、平穏に亡くなった織田有楽斎さん。
争いごとが苦手だったのではないでしょうか。
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■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・織田有楽斎は茶道「有楽流」の創始者。
・有楽斎が「東京・有楽町」の名前の由来という説があるが、信憑性は低いらしい。
・織田有楽斎の最期は平穏なものだったらしい・・・・。
・子孫は領地を守りきり、明治を迎えた。
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
南無阿弥陀仏・・・。
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織田有楽斎が有楽町の町名の元になったというのは、俗説で単なる文字の類似によるものです。有楽町は明治初期に隣の永楽町とペアで命名された町名で、関係ありません。ずいぶん以前に確か、月刊日本歴史(吉川弘文館)に学者が文章を書いていたように思います。有楽斎は江戸に住んだことはなく、まして数寄屋橋まで有楽斎の屋敷に由来するなどというのは全く根拠がないことです。こういう俗説が広まるのは嘆かわしい。
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貴重なるコメントを頂きましてありがとうございます!
おかげさまで正しい知識を得ることが出来ました。
感謝の念に絶えません。
ありがとうございました。