井伊直親の最期の地はどこ?井伊直政の他にも長野で子供生まれてた?
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無念の最期を遂げた武将・井伊直親
彼が最期を遂げた地とは、一体どこなのか?
そして、井伊直親が信濃の国(長野県)で亡命生活を送っていたときに
実は子供をもうけていたというのは本当か?
「生臭寺院」へようこそ。
拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。
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南無阿弥陀仏・・・。
■井伊直親が殺害された理由とは?
大河ドラマ「おんな城主直虎」
主人公の「次郎法師」こと「井伊直虎」の許嫁、「井伊直親」
彼はなぜ殺害されてしまったのか?
その理由は一体何だったのでしょうか?
それを知るためには、まずは当時の井伊家が置かれている状況を把握しないといけないのです。
井伊家の領地、井伊谷は遠江・・・つまり現在の静岡県西部・浜名湖の北に位置しており、隣国三河(愛知県東部)の国境近くでした。
三河は、桶狭間の戦い以後、松平元康(後の徳川家康)が今川家を裏切って領有しており、三河国統一目指してひた走っている最中だったのです。
つまり、松平元康の支配する三河と、今川家の支配する遠江の間に位置している井伊家は、最前線に立たされていたのです。
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松平元康に裏切られて怒り心頭なのが今川家。
今川家は当主の今川義元を桶狭間の戦いで失い、長男の今川氏真が当主となっていましたが、この氏真という人物は非常に軟弱な人だったそうです。
そのため、三河国の今川方の勢力は次々と松平元康に寝返っていました。
かつては日本一の勢力とも言われていた今川家も、没落の一途をたどる中、井伊家でも、今川家を裏切って松平元康に臣従すべき!という意見が出始めたのです。
さて、当主の井伊直親は、松平元康に臣従することを決意し、元康と接触。
するとそれを今川家に密告してしまった人物が!
それは井伊家の家老にして、今川家に目付け(監視役)として任命されていた「小野政次」。
彼は、井伊直満の裏切りを今川家に密告した「小野政直」の息子。
井伊直満は、このため今川家に処刑され、息子の直親は10年近くの間、信濃の国(長野県)に亡命することになったんですよね。
小野政次・・・・父と同じように密告をし、井伊直親は、父・直満と同じ運命に・・・。
大河ドラマでは、小野政次と井伊直親は幼馴染の親友として描かれていますが、直親にとって政次はあくまでも「父を死に追いやった小野政直の息子」・・・・・。
到底親友として付き合えたとは思えません。
直親の裏切りに怒った今川氏真は、直親に「駿府へ来て釈明せよ」と命令します。
直親は生きて戻ることは出来ないかもしれないと知りながらも、他にどうすることも出来ずに駿府へと向かいました。
しかし、駿府へ到着することも出来ないまま、直親は今川家の重臣・朝比奈泰朝の待ち伏せにあって亡くなってしまいます。
これによって井伊家は滅亡しかけますが、最期の希望であった直親の息子「井伊直政」こと「虎松」が残されていました。
ただ、この時「虎松」はまだ幼かったため、出家していた井伊直虎が当主となって井伊家を守ることになるのです。
虎松はその闘争本能に満ち満ちた性格と忠誠心のため、最終的には彦根30万石という、德川譜代大名の中でも最高の領地を保有するまでに至ったのです。
直親と直虎が守り抜いた井伊家・・・・。
井伊直政が明治まで続く雄藩の礎を築き上げたわけですね。
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■最期の地はどこ?お墓はどこにある?
悲劇の最期を遂げた井伊直親。
彼は一体どこで亡くなったのでしょうか?
その最期の地はどこにあるのか?
調査してみたところ、どうやら彼の最期の地は、静岡県の「掛川」だそうです。
掛川城は、朝比奈泰朝が支配するお城ですね。
詳しい場所は「掛川市十九首」というところだそうですよ。
この「十九首」という地名は住所になっており、掛川市役所前駅から徒歩で行ける場所なのだとか。
「十九首」という名前の由来は、直親が討たれたことに由来するわけではなく、この地で「平将門」の一族十九人が殺害されて塚が築かれたことから、この地名になったみたいですね。
ちなみに、近くには「十九首団地」なる団地群があるようで・・・。
井伊直親のお墓は、井伊谷にある龍潭寺にあります。
龍潭寺といえば、井伊直虎こと次郎法師が出家したお寺ですよね。
直親のお墓に向かって左が、妻の「奥山ひよ」のお墓で、右側に許嫁だった「井伊直虎」のお墓があるのようです。
まぁ、昔は一夫多妻制でしたからね。
あの世で直親さん・・ようやく直虎と結ばれて、安らぎに満ちているかもしれません・・。
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■直親の死後、仇の「朝比奈泰能」はどうなった?
さて、井伊直親の死後、彼を死に追いやった「朝比奈泰朝」と「今川氏真」は一体全体どうなったのでしょうか?
その後、朝比奈泰朝が仕えた今川家は衰退の一途を辿ります。
そんな中でも有能と評判だった「朝比奈泰朝」は、今川家のために奮戦しました。
今川家の家来たちは、列強諸国に囲まれている今川家の状況に絶望し、次々と離反していく中でも、朝比奈泰朝だけは最後の最後まで今川家を守ろうとするのです。
1569年、今川家と同盟関係にあったはずの武田信玄が、一方的に同盟を破棄して駿河に進行。
信玄としては、駿河の豊富な金山と、海運・塩の生産が出来る海を欲したのでしょう。
北の日本海は軍神・上杉謙信によって閉ざされていた上に、関東の海も北条氏に抑えられていたので、太平洋ルートを手にするしか方法がなかったのです。
この時、武田信玄は徳川家康と軍事同盟を締結して、三河からも家康が進行。
挟み撃ちにあった今川氏真は為す術もなく駿府城を捨てて、朝比奈泰朝が守る掛川城に避難。
朝比奈は主君を守るために、掛川城を包囲する徳川家康の軍を相手に奮戦しました。
しかし、援軍が期待できない状況での戦いには限界があり、5ヶ月にわたる籠城戦も、家康からの開城勧告に従い落城。
今川氏真は開城と引き換えに、妻の実家である北条家の支配地域・伊豆へと亡命。
朝比奈泰朝もそれに同行します。
この時、家康は朝比奈の能力を惜しみ、自分の家来に勧誘したそうですが、朝比奈はこれを断り、最期まで氏真に忠義を尽くしたのです。
今川氏真はその後、1571年に徳川家康を頼って浜松へ移動しましたが、朝比奈はこれに同行しませんでした。
しかし、その知勇は惜しまれたのでしょう。一説によると、後に徳川家の筆頭重臣「酒井忠次」に仕えたとも言われています。
朝比奈泰朝・・・・直親を殺害した憎い人ですが、彼には彼なりに守らなくてはならないものがあったということでしょうね。
ちなみに、直親殺害の片棒を担いだもう一人の仇、高橋一生さん演じる「小野政次」については、以下のリンク記事を御覧くださいませ。
リンク記事は別タブで開きます♪
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■隠し子がいた?
どうやら井伊直親には隠し子がいたらしいですね。
その名も高瀬姫。
彼女は史実では「井伊直政」の妹・・・・ということになっているようなのですが・・・・。
高瀬姫・・・・「おんな城主直虎」にも登場する人物ですな。
彼女は一体どういう経緯で産まれたのでしょうか?
彼女は井伊直親が信濃に亡命していたときに、現地の女性との間に産まれたお姫様。
つまり、井伊直親・・・・・信濃で一途に直虎を想っていたわけじゃないってことですね(^_^;)
まぁ、仕方ないとは思いますが、ロマンは消え失せちゃいますよね・・・。
さて、ちょっとここで気になることが・・・・。
井伊直親って、信濃から井伊谷に帰還してから、息子の井伊直政こと虎松を産んでますよね。
でも、直政が生まれる前に、信濃で高瀬姫が誕生したとなると、直政の姉ということになると思うのですが、どうなっているのでしょうか?
まぁ、史実では、妻の「奥山ひよ」さんと結婚したのは、彼がまだ信濃にいた時、ということになっているようですから、矛盾はないのかもしれませんがね。
この高瀬姫、後に家康の斡旋で井伊直政の家来「川手良則」と結婚していますね。
ちなみに母は、「塩澤氏の娘」という事になっているようですが・・・井伊直政の妹だとしたら、奥山ひよさんと結婚した後に産まれた・・・ってことに・・・。
直親さん・・・アンタまさか不倫してたの???
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■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・井伊直親は今川家を裏切ろうとしたため、今川氏真に殺害された。
・直親最期の地は静岡県掛川市十九首。
・直親の墓は、井伊谷の龍潭寺にある。
・仇の朝比奈泰朝は、最期まで今川家に忠義を尽くし、後に徳川家康に臣従した。
・井伊直親には高瀬姫という隠し子がいた。井伊直政の妹・・・らしい。
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
南無阿弥陀仏・・・。
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