瀬名姫の母親の佐名姫の最期は?真田丸で清水ミチコが瀬名を演じた?
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家康が今川家を裏切ったために、窮地に立たされた瀬名姫。
瀬名姫の母親、佐名姫の髪の毛が真っ白に!!
そんな苦労多き佐名姫の最期とは?
そして、前年大河ドラマ「真田丸」で、瀬名姫を「清水ミチコ」さんが好演した???
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■瀬名姫ピンチ!駆けつけた馬上の侍はだれ?
2017年放送の大河ドラマ「女城主直虎」。
桶狭間の戦いで、今川家の大黒柱である名君「今川義元」が戦死。
その隙に、今川家に臣従していた徳川家康は、故郷である岡崎城を奪取し、独立。
しかも桶狭間の戦いの翌年1561年には、今川義元の仇である「織田信長」と清洲同盟を結び、今川家と絶縁。
今川の本拠地駿府にいた家康の妻「瀬名姫」と、子供「竹千代(信康)」と「亀姫」は、裏切り者の家族というレッテルを貼られて窮地に追い込まれます。
今川義元の子、氏真は、その家康の家族全員の殺害を指示。
家康は家族の窮地を知りながら、なんの手も打つこと無く、瀬名姫と2人の子供は処刑寸前まで追い込まれました。
大河ドラマ「女城主直虎」では、瀬名姫が龍泉寺で自害することが決まり、籠に乗せられそうになるところを「竜宮小僧」「井伊直虎」こと「次郎法師」が必死に助命嘆願!!
しかし助命は叶わず、瀬名姫の死が目前となったところで、騎馬の侍が駆けつけました。
これ・・・・・誰???
実はこの人物は、家康の家来の「石川数正」。
後の徳川家で相当な「知恵」を武器に出世しまくる人物で、主に外交などを担当していた人ですね。
彼はある秘策を胸に、瀬名姫と子供たちを救出に来たのでした。
それは、今川義元の母・寿桂尼の孫「鵜殿長照」の2名の子供を人質に取ったことで、瀬名姫・竹千代・亀姫の3名との人質交換を実現させること。
間一髪で瀬名姫は救出されるんですよね~。
その後、瀬名姫と信康・亀姫は岡崎城へ。
しかし、その時の家康は今川と交戦状態だったため、家来たちに憚って、瀬名姫と子供たちは岡崎城の外れにある「築山」に幽閉同然の生活をさせられることになるのです。
このことから瀬名姫は「築山殿」と呼ばれることになるんですよね。
ちなみに、築山殿を救出した石川数正・・・・。
大河ドラマ真田丸にも登場した人物ですが、彼は後に家康を裏切って豊臣秀吉に鞍替えします。
「真田丸」では、真田昌幸の弟・真田信尹に誑かされて家康を裏切った事になっていますが・・・・。
実際のところ、なぜ家康を裏切ったのかは、不明です(^_^;)
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■佐名姫の最期とは?
さて、家康の妻瀬名姫は助かりました。
しかし、瀬名姫の母で、井伊直虎の大叔母・・・・井伊直平の娘「佐名姫」
彼女はどうなったのでしょうか?
娘・瀬名姫が窮地に追い込まれたことで、ドラマでは髪の毛が真っ白になっていましたが・・・・。
彼女はどうなってしまうのでしょうか?
ドラマの中では、瀬名姫が救出されたことで、今川氏真の怒りの矛先は「佐名姫」と瀬名の父「関口親永(又は関口義広)」に向かうことになります。
つまり、瀬名姫の代わりに、佐名姫と関口の両名は処刑・・・・となるのです。
かなり酷いですね。
井伊のために尽力し、その人生を破滅させられておきながら、最期は今川の手で処刑ですか・・・・。
しかし史実では、亡くなったのは瀬名姫の父・関口親永。
彼は娘婿の家康が今川を裏切ったことで、その去就を疑われて、切腹を命じられる事になりました。
では「佐名姫」は史実ではどうなったのでしょうか?
実ははっきりしていないみたいです。
どういうことかというと、関口氏の妻は、「井伊直平の娘」かどうか・・・・それすらはっきりしておらず、「今川義元の妹」が妻だったとする説もあるのです。
つまり、佐名姫が夫とともに処刑されたかどうかはわかっておらず、実在すらしていない可能性もあるそうですな。
ただ、もしも関口氏・瀬名姫の母が「井伊直平」の娘であったとしても、夫が切腹して妻も共に自害???
そんなことしますかね???夫の菩提を弔うと言って、生き残りそうなもんですが・・・。
ドラマでは「処刑」されてしまう佐名姫・・・・。
せめて史実では、穏やかに生きていてほしいものです。
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■「真田丸」で「清水ミチコ」が「瀬名姫」を演じた?
さて、瀬名姫なのですが・・・・変な噂があるようで・・・。
前年の大河ドラマ「真田丸」にも登場していたとのこと・・・。
???
何やら「清水ミチコ」さんが演じて話題になったとかなんとか??
???
どういうこととなのでしょうか?
清水ミチコさんが演じた???
真田丸では、徳川家康を内野聖陽さんが演じておられましたよね。
そして、側室の阿茶局を「斉藤由貴」さんが演じてました。
清水ミチコさん・・・・確かに家康の正室を演じておられましたが・・・・。
全くの無表情・・・そして無言で、見事なまでの存在感を発揮しておられましたよね。
彼女が「瀬名姫」こと「築山殿」???
そんな訳はないですよね(^_^;)
何といっても、真田丸に登場した清水ミチコさん。その時の西暦は「1586年」。
瀬名姫は「1579年」に亡くなっているのですから、ありえません(;・∀・)
でも、清水ミチコさんが演じたのは「家康の正室(正妻)」・・・・菜々緒さんが「直虎」で演じている「瀬名姫」も「家康の正室」。
どういうことかというと、実は徳川家康には生涯に2名の正室がいるのです。
1人は菜々緒さんが演じている「瀬名姫」こと「築山殿」。
もう一人が「清水ミっちゃん」が演じた「朝日姫」。
この朝日姫は「豊臣秀吉の妹」なんですね。
豊臣秀吉が徳川家康に臣従を要求してたのですが、家康は頑として聞かなかったため、秀吉が家康を懐柔する目的で妹を輿入れさせたのです。
つまり、朝日姫は継室ということです。
朝日姫は家康と婚姻した4年後の1590年に亡くなっておられます。
40過ぎでの結婚だったようですが、一応家康から大切にされたようですよ。
そりゃあ家康の妹ですからね。
ちなみに真田丸・・・・このドラマのスタート地点は1582年。築山殿がなくなった3年後です。
真田丸スタート時点で、既に築山殿は亡くなっていたんですよね。
かなり悲劇的な最期だったそうですよ。
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■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・瀬名姫は今川に処刑される寸前に、石川数正に救われる。
・彼女の母「佐名姫」はドラマではその後処刑される。
・史実では「佐名姫」は消息不明。
・真田丸で清水ミチコさんが演じた「家康の側室」とは瀬名姫ではなく、朝日姫。
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
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