白鳥由栄子供・長女と姉はその後どこに?映画になった?脱獄王の手口

昭和の脱獄王「白鳥由栄」

彼の子供とは?

唯一の肉親だった姉はどこに?

映画にもなった「昭和の脱獄王」白鳥由栄の脱獄の手口とは?


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■目次

脱獄王「白鳥由栄」プロフィール

脱獄の手口とは?

なぜ脱獄を?脱獄後あっさり捕まったのはなぜ?

子供と姉は?

本日のまとめ

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。


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■脱獄王「白鳥由栄」プロフィール

白鳥由栄のプロフィール

名前・・・・・・・白鳥 由栄(しらとり よしえ)

生年月日・・・・・1907年7月31日~1979年2月24日(享年71)

出身地・・・・・・青森県東津軽郡荒川村筒井

家族・・・・・・・姉(3歳年上)妻(22歳の時に結婚)長女

父・・・・・・・・白鳥由栄が3歳の時に他界

引用元ウィキペディアより

白鳥由栄、昭和の脱獄王と言われた人物。

生涯に4度の脱獄を成功させ、実に合計3年もの間逃亡生活をしていた人。

どうして白鳥由栄は脱獄をしたのだろうか?

その理由は「自由になりたい」という囚人の本能によるものではなく、どうやら「抗議の意味」が込められたものだとか。

彼が刑務所に入った理由は、「強盗殺人」と「複数回の土蔵破り」、もう一つ・・・脱獄していた間に犯した「殺人」

1度目の強盗殺人で、彼は仲間と忍び込んだ家の主人に見つかってしまい、仲間と一緒に殺害。

もう一つの殺人事件では、ナイフで刺していた。

徹底的に逃亡したかと思えば、あっさり自首。

厳重な警備の刑務所に対しては、知恵と身体能力の全てを使って脱獄する割には、警備が全くされていない状態の刑務所においては模範囚としておとなしくする・・・・。

白鳥由栄とは、どういう人間なのか?


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■脱獄の手口とは?

彼は合計4回の脱獄を達成しています。

1度目「青森刑務所」

1936年6月、彼は故郷・青森の刑務所に移監された。

そこで、彼は長期間に渡って、裁判結果を待つ「未決」の状態に置かれることに。

そして、脱獄のために知恵を絞ることになる。

彼はある日、ゴミを捨てるために独房を出た際に、偶然針金を一つ拾った。

その針金を使ってピッキングか?と思いきや、彼はその針金を折り曲げて鍵の形に変え、それで鍵穴を回すという方法を思いつく。

独房は全て外から鍵穴を使って回してロックするという代物だった。

独房のドアには、食事を配布するための窓が設置されており、その窓から腕を出してみると、簡単に鍵穴まで手が届いた。

白鳥由栄は、鍵穴を開けるだけでは脱獄が成功するとは全く思っていなかった。

まずは刑務所の職員の動向を把握することが大切だと理解していた。

そして、職員の交代する間、数分の隙があることに気がついた。

その時間を利用して鍵を開け、その後に白鳥の行方を遮っていた扉も全て針金で開けた。

脱獄した2日後、彼は近くの墓地にいるところを警察に見つかって逮捕。

脱獄の理由は「判決が中々出なくて暇だったから」だとか。

その後、結審して無期懲役刑が言い渡された。

彼はその後、宮城刑務所から東京の小菅刑務所へと移動。

小菅刑務所では模範囚として過ごしていたらしい。

なぜ模範囚として過ごしていたのかというと、小菅刑務所には、彼が信頼していた職員が務めていたから。


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2度目「秋田刑務所」

青森刑務所脱獄から5年後の1941年、彼は東京の小菅刑務所から秋田刑務所に移動させられた。

この刑務所は壁と床がコンクリートで固められている脱獄不可能と思われるものだった。

ただ、天井には天窓が。

この天窓までなんとか辿り着くことができれば。

しかし、はしごはもちろん壁には手をかける場所すらない。

どうするか?白鳥が目をつけたのは部屋の隅。

その部屋の隅に背中を向け、左右の壁に手足をつけて踏ん張り、壁をよじ登ることを実行。

白鳥は人並み外れた身体能力と腕力を持っていたとのことなので、簡単なことだったのだろう。

天窓に辿りついたところに釘が刺さっていたらしく、この釘をノコギリ状に削ることで、簡易なノコギリを作成。

その釘ノコギリを使って、天窓の格子を切断し始めたのだった。

毎日10分間だけ、ノコギリの音が気にならない時間に作業を続けることで、白鳥はついに格子を切断することに成功。

逃げ出す音をごまかすために、白鳥は台風を待って、脱獄を実行。

彼の背丈の3倍はあるだろう刑務所の壁は、丸太を壁に立てかけることで梯子代わりにして突破。

その3ヶ月後、白鳥は意外な場所に姿を現す。

それは東京、秋田刑務所に移動させられる前に、模範囚をしていた刑務所だった。

どうしてそこに現れたのか?

どうやら秋田刑務所での扱いに抗議するつもりで脱獄したらしい。

小菅刑務所には、彼が信頼していた「鈴木」という職員がいたので、彼に自らの意思を伝えたかったのだと言われている。


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3度目「網走刑務所」

網走刑務所・・・・・受刑者たちに取って、逃げることは不可能と言われた要塞。

今では博物館の用になっており、白鳥由栄がワイヤーをつたって脱獄する様子がマネキンで再現されている。

その網走刑務所に収監された白鳥由栄。

彼はその脱獄のリスクから、両手両足に枷をはめられていた。

しかし、人並み外れた腕力の白鳥は、その手枷を強引に壊して外したため、かえって窮地に陥ることになる。

彼は手枷を後ろ手につけられてしまったのだ。

これでは腕力を活かして外すことは出来ず、また、足かせを外すことも出来ない。

しかし白鳥にチャンスが!

刑務所からの救いの手・・・という形で、白鳥の手枷は全面でかけられることになる。

しかし、その手枷は彼の腕力を持ってしてもどうにもならない代物だった。

白鳥がとった行動は非常に気長な方法だった。

味噌汁を付けて鉄を錆びつかせる。

小説などでよくありそうな手だが、元祖は白鳥なのかも。

白鳥が味噌汁を吹きかけたのは、手錠だけではなく、房の扉の窓に取り付けられた鉄製の枠。

しばらく味噌汁を吹きかけ続けたところ、枠がハズレて脱獄が・・・できるはずだった。

しかし、窓が小さすぎて身体が通らない。

なんと白鳥由栄はそこで肩の関節を外して脱出。

その後、建物の天窓を割って逃走。

刑務所の塀は焼却炉の煙突を辿って越えた。


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2度目の殺人

網走刑務所を脱獄した白鳥は、その後山中で姿を隠した。

なんと3年もの間姿を隠し、警察の追跡を振り切ったという。

その間、彼はある青年をナイフで刺して殺害している。

数日後に逮捕。

判決は死刑

しかし、彼は正当防衛を頑なに主張。

白鳥は裁判で脱獄を宣言。

4度目「札幌刑務所」

札幌刑務所に収監された白鳥由栄は、独房の壁と扉を見て諦めざるを得なかったらしい。

そこでは白鳥由栄の脱獄を警戒して、全ての設備に厳重な補強が成されていた。

しかも白鳥の行動を交代で職員が見張るという念の入れようだった。

それでも白鳥は諦めず、なんと床を自主制作の簡易ノコギリで切断し、スプーンや素手で土を掘るという古典的な方法で脱獄を試みた。

札幌刑務所への移動後わずか1月で、彼は脱獄に成功。

季節が冬の真っ只中だったため、刑務所の塀は積もった雪のため簡単に乗り越えられた。


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最期「府中刑務所」

札幌刑務所脱獄後、10ヶ月ほど逃走をしていた白鳥は、繁華街を歩いていた。

そこで二人の警察官に職質されたらしい。

白鳥は警察に対して「煙草をくれないか?」と頼むと、シケモクではあったが貴重品の煙草をくれて火までつけてくれた。

白鳥はその温情に感謝するかのように自供を開始。

自らが脱獄犯であることを明かして逮捕された。

その後、裁判にかけられた白鳥由栄は「懲役20年」の刑に服することになる。

彼が収監されたのは東京の府中刑務所。

そこの所長は、以前白鳥由栄が自首した小菅刑務所勤務だった「鈴木」。

白鳥由栄のことを知り尽くしていた鈴木は、彼に手錠をかけることもなく、独房をロックすることもなかった。

それに対して白鳥は、抗議することもなく、模範囚として13年の間、彼は刑期を務める事となる。

1961年、仮釈放。

その後は静かに余生を送っていたらしい。

彼の脱獄の手口は当時、もてはやされてスター扱い。

そのためか、白鳥由栄をモデルにしたドラマが「破獄」という吉村昭の作品が「緒形拳」主演でNHKでドラマ化。

映画でも、彼の脱獄の手口はモデルとして採用されているみたいですね。

浦沢直樹の人気漫画「MONSTER」でも、白鳥の脱獄の手口をモデルにして、描かれているキャラクターがいる?みたいです。


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■なぜ脱獄を?脱獄後あっさり捕まったのはなぜ?

なぜ脱獄したのか?

最期の小菅刑務所で懲役20年を13年の刑期で仮釈放されるほどの模範囚として過ごしたのはなぜか?

彼の脱獄は、「抗議」の意味があったのでしょう。

決して刑期を嫌がってのものではなく、刑務所での劣悪な環境への抗議。

それが脱獄への原動力だったと言われています。

当時、囚人が脱獄した場合、その時に当直をしている刑務所職員は免職になるというのです。

それを知っていた白鳥は、わざわざ嫌いな職員の当直の日に脱獄を実行したと言われています。

しかし、人からの温情には真心をもって返すのが彼の流儀だったのか?

札幌刑務所を脱獄した後、煙草をくれた警察官に逮捕されて手柄としてあげ、信頼していた刑務所職員「鈴木」が所長を務めていた府中刑務所では、所長に迷惑をかけないようにと思ったのか?脱獄せず、模範囚として勤め上げているのです。


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■子供と姉は?

白鳥由栄には、家族と呼べる存在が2名いました。

1人は3歳年上の姉。

もう一人は22歳の時に結婚した女性。

1929年に結婚し、その後土蔵破りの罪で逮捕される1935年までの6年間。

この間、妻と過ごしていたと思われます。

どうやらお魚屋さんを営んでいたとのことですが・・・・。

彼には娘がいたらしいです。

しかし、彼が収監されたことで、妻とは離婚。

会いに行っても、声をかけることも出来ずに、故郷青森で洗濯物を干している長女の姿を遠くから眺めるだけで精一杯だったそうです。

この長女、生存していたなら、80歳過ぎくらい。

青森にこの長女の子供、つまり白鳥の孫がいるという噂もあります。

ちなみに白鳥の姉なのですが、叔母夫婦に養子に出されて、叔母夫婦が営んでいた青森の豆腐屋さんで務めていたらしいです。

もしかしたら、彼女の子供が今でも青森にいるかもしれません。

白鳥が府中刑務所を出所した後、彼の身元を引き受ける親族はいなかったようなので、出所したあたりですでに姉・子・元妻とは絶縁状態だったのでしょう。

しかも白鳥が亡くなった1979年。彼の遺骨を受け取ってくれる親族は皆無だったため、なんと無縁仏に埋葬される寸前だったのだとか。

その時に彼の遺骨を引き取ったのが、出所後に白鳥の自宅隣に住んでいた少女。白鳥と出会った当時は、まだ5歳

彼女は白鳥が亡くなった際には大人になっていたらしいのですが、白鳥の人柄を慕って、彼の遺骨を埋葬してあげたと言われています。

白鳥は、おそらく彼女を娘と重ね合わせていたのでしょう。

その愛情に応えた少女。

白鳥の娘への愛情は無駄ではなかったのでしょうね。


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・白鳥由栄、昭和の脱獄王。

・彼は味噌汁や針金、関節外しの荒業で4回の脱獄に成功している。

・彼が脱獄した理由は、抗議。刑務を避けようとしたわけではないらしい。

・彼には姉と長女がいたが、絶縁状態だった。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

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