寿桂尼!浅丘ルリ子や岸田今日子が演じた女戦国大名に武田信玄も苦戦

 もう一人の「女城主」寿桂尼!

井伊直虎と同じ時代に生きた女戦国大名!

「女城主直虎」では「浅丘ルリ子」さんが!「武田信玄」では「岸田今日子」さんが演じた寿桂尼!

歴史上、名将・武田信玄ですら苦戦させた大物だった?


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生臭寺院」へようこそ。

拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。

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「戦国時代(大河ドラマ関連)」の記事はコチラ
今川義元の天才軍師・太原雪斎とは?」の記事はコチラ

■目次

寿桂尼とは?

男顔負けの政治家だった?

武田信玄も寿桂尼に苦戦した?

寿桂尼の最期とは?

本日のまとめ

その他の記事

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。

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■寿桂尼とは?

寿桂尼(じゅけいに)・・・。

あんまり聞いたことない名前かもしれませんが、彼女の息子なら有名ですね。

彼女の息子の名前は今川義元!!

桶狭間の戦い織田信長に倒された今川義元の母が寿桂尼さんです。

さて、寿桂尼さん・・・大河ドラマなんかにもよく登場してくる有名な人物ですね。

彼女は大河ドラマに登場してくる他の女性達とは異なるある特徴を有しています。

それは・・・・政治や軍事にめちゃくちゃ口を挟んでくること!

大抵大河ドラマでの「国・家の重大決定」に際して、女性はそれほどでしゃばることはありません。

当時の時代背景として、「女性は集団の意思決定に口を挟まない」ということがあったのかもしれませんが、浅丘ルリ子さんや岸田今日子さんが演じた寿桂尼は、そんなことお構いなしにバンバン登場してバンバン口を出してきます!

果たして寿桂尼という人はどういう人だったのでしょうか?

彼女のお陰で、戦国最強とまで言われている武田信玄も苦戦したという噂がありますが・・・・どういうことなのでしょうか?

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■男顔負けの政治家だった?

寿桂尼とは、一体どういう女性だったのか?

どうして女性であるにも関わらず、政治に口を出すようになったのか。

どうやら彼女は、夫が今川家の当主をしていたときから政治に対して積極的に介入していたみたいですね。

今川義元の父・今川氏親が当主を務めていた時、寿桂尼は夫が病気になって床に臥せっているという理由で、夫の補佐をして政治を行っていた様子。

一説には、今川家が領地で適用していた「今川仮名目録」という法律制定にも、寿桂尼が関わっていると言われています。

その夫・氏親が亡くなって、次に今川家の当主となったのが、寿桂尼の長男で今川義元の兄「今川氏輝」。

氏輝が当主となったのは、彼がまだ14歳の時。幼い息子の政治を補佐するために、寿桂尼は夫の補佐役で培った経験をいかんなく発揮したみたいですね。

そんな氏輝も、どういうわけか10年後・24歳という若さで病死・・・毒殺とも言われています。

なぜ毒殺と言われているかというと、寿桂尼の次男・彦五郎が同日に亡くなっているため。あまりにタイミングが良すぎますからね。

息子二人を亡くした寿桂尼は、天才軍師・太原雪斎に預けていた自らの三男で、夫・氏親の五男である「梅岳承芳」を修行先の京都から呼び戻して今川家の当主にしようとします。

が、ここで意義を申し立てたのが「梅岳承芳」の腹違いの兄「玄広恵探」。

自分こそが今川家の当主だ!と主張する玄広恵探との間に家督相続争いが勃発!

寿桂尼は太原雪斎とともに梅岳承芳を補佐して、家督争いに勝利し、梅岳承芳は「今川義元」と名乗ることになるのです。

その後、今川義元の政治を側で補佐していたようですが、悲しいことに今川義元は天下制覇を目指す京都進軍の途中で織田信長に「桶狭間の戦い」で敗北して死亡!

寿桂尼は息子3人を亡くしてしまうことになるのです。

寿桂尼はその後、今川義元の息子「龍王丸」こと「今川氏真」を補佐することになります。

しかし、氏真は父の義元には似ても似つかない出来の悪い人物だったらしく、実験は寿桂尼さんが握っていた様子。

今川家の弱体化を留めることは出来ず、彼女が亡くなった1568年、今川家は武田と徳川の連合軍に滅ぼされ、氏真は相模の北条氏を頼って行き、今川家は滅亡することになるのです。

寿桂尼さん、氏親・氏輝・義元・氏真という今川家4代を補佐した人物だったんですね。

彼女は自ら家来たちに命令書を発行していたとも言われているようですから、今川家の意思決定は、彼女が行っていたのかもしれません。


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■武田信玄も寿桂尼に苦戦した?

さて、寿桂尼さんと言えば、大河ドラマ「武田信玄」で女優の「岸田今日子」さんが演じたお方ですね。

その大河ドラマ「武田信玄」で、拙僧とっても印象に残っているシーンがあるのです。

それは岸田今日子さん演じる寿桂尼さんが振り返りざまに笑顔で一言「塩じゃ!!」と叫ぶシーン。どういうことなのでしょうか?

「塩」って何のこと?

武田信玄と上杉謙信のエピソードに「敵に塩を送る」というものがあることは有名です。

内陸部にある「甲斐・信濃」現在の山梨県と長野県を支配していた武田信玄。当然「塩」を産出することが出来ないので、輸入に頼っていたのです。

輸入していた先は同盟国だった「駿河・今川家」と「相模・北条家」。

しかし、武田信玄が今川義元の仇である織田信長と同盟を結んだことに怒った今川家は、北条家を誘って塩の輸出を禁止したのでした。

その為武田信玄は困ったわけです。そんな時、越後の上杉謙信から、塩が送られてきたのです。

謙信は「オレは姑息な手段を使わずに、堂々とお前を倒してやる」と言って塩を送ったと言われています。

まぁ、商才に秀でていた謙信が金のために塩を売っていたとも言われてますがね。

実はその「塩の輸出禁止」を考えだしたのが、寿桂尼・・・・と大河ドラマ「武田信玄」では設定されていたのです。

もしもこの「塩の輸出禁止」を実際に考え出したのが寿桂尼だとしたら、名将・武田信玄をも困らせた寿桂尼・・・・かなり危険で有能な人物だったのかもしれませんね。

2017年放送している大河ドラマ「女城主直虎」では、女優の「浅丘ルリ子」さんが寿桂尼を演じているようですね。

拙僧も浅丘寿桂尼をみましたが・・・・ちょっとメイクが濃すぎる気が(T_T)

大丈夫かね浅丘寿桂尼さん・・・・・・・そんなことを心配しているのは拙僧だけでしょうか??(^_^;)

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■寿桂尼の最期とは?

女傑・寿桂尼・・・・最期は一体どういうものだったのでしょうか?

彼女は今川家が武田信玄徳川家康に滅ぼされる数ヶ月前に亡くなっているとのことです。

どうやらかなりの高齢で、70代から80代で亡くなったそうですね。

3人の子供にも先立たれ、孫は無能・・・・壮絶な人生を送っておられますね・・・(^_^;)

寿桂尼さんは、亡くなる直前に遺言で

「死んても今川家を守ってみせる」

と言って、今川家の本拠地・駿府城の鬼門・つまり北東の方角にある「竜雲寺」に埋葬されたと言われています。

ただ、死んじゃったら守れるものも守れない・・・ってわけで、先述の通り、寿桂尼が亡くなった直後に今川家は滅亡。

最期の当主・今川氏真は、妻の実家である北条家に保護され、その後徳川家康が天下を制覇した時に、その家来として後世に子孫を残したと言われています。

寿桂尼さん・・・おそらく政治に介入しまくった実力者である彼女なら、武田信玄と徳川家康に近いうちに今川家が滅ぼされることがわかっていたのでしょう。

そのため、今川家は守る!と遺言したんでしょうね。

壮絶な人生を生き抜いた寿桂尼・・・・直虎と同じ時代を生きたもう一人の女城主、と言ってもいいんじゃないでしょうか。

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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・寿桂尼は今川義元の母親で、政治家でもあったらしい。

・寿桂尼は夫・息子の補佐をした、女戦国大名・・・・。

・武田信玄に塩の輸出禁止を決めたのは、寿桂尼・・・・かも知れない。

・亡くなる直前に、寿桂尼は「死んでも今川家を守る」と言って、駿府城の鬼門の方角に葬られた。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

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■その他の記事

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