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千姫と秀頼は仲悪かった?夫の隠し子にした、呪われた姫の行動とは?


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千姫・・・・豊臣秀頼の妻で、徳川家康の孫。

彼女と秀頼は実は仲が悪かった?

千姫は呪われていたかのように、次々と悲劇に見舞われます。

そして、夫・秀頼の隠し子に対して、千姫はあることをしました・・・・。あることとは?


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「生臭寺院」へようこそ。

拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。

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「馬上筒?真田幸村が使用した兵器の威力と性能とは?」の記事はコチラ

■目次

千姫とは?

秀頼の妻になった経緯

秀頼の隠し子に千姫がしたこととは?

秀頼死後の千姫

本日のまとめ

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。

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■千姫とは?

大河ドラマ「真田丸」で、永野芽郁さん演じる「千姫」。

徳川家康の孫、2代将軍「徳川秀忠」の長女。

彼女の詳細をご説明致します。

千姫は1597年、徳川秀忠と、浅井長政の三女「」の間に第一子として誕生します。

彼女はその後、わずか7歳で豊臣秀頼と結婚し、大阪城へ入ります。

彼女は大阪城で大切に育てられました。

何しろ千姫の姑の「淀殿」からすると、千姫は、妹「江」の娘、つまり淀殿の姪。

何よりも千姫は徳川家と豊臣家の架け橋として、その存在を当初から非常に大切にされていたのです。

それにしても、千姫はどうしてわずか7歳で嫁ぐことになったのでしょうか?

もう少し成長を待つことは出来なかったのでしょうか?


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■秀頼の妻になった経緯

どうして千姫はわずか7歳という幼さで、豊臣家に嫁ぐことになったのでしょうか?

その理由は、豊臣秀吉と徳川家康。

秀吉は、生前に家康と、「秀頼と千姫」の婚姻を約束したのです。

豊臣秀吉からすると、徳川家康は最も警戒すべき相手。

その相手から身内を「人質」として預かることは、自分の死後、家康の行動を封じる材料にもなるはず。

おそらく秀吉にはそういう目論見があったのでしょう。

秀吉の死の2年後、関ヶ原の戦いで家康は石田三成を初めとする「豊臣政権の中枢」を屈服させました。

その後、家康は、豊臣家に対して、臣従する様に圧力をかけていくのですが、その過程でも、千姫は家康の過激な工作を思いとどまらせる要因となったことでしょう。

家康は千姫を溺愛していたと言われていますからね。

さて、千姫と秀頼・・・・仲が悪かったのでしょうか?

2人には子供がいないのですが・・・・・どういうことなのでしょうか?


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■秀頼の隠し子に千姫がしたこととは?

千姫と秀頼・・・・・2人は仲が悪かったのでしょうか?

2人には子供がいないのです。

千姫が秀頼と破局しちゃったのは大阪夏の陣、つまり1615年。千姫18歳の時のこと。

子供がいないのは仕方ないかもしれませんね。

幾ら7歳から11年間一緒に過ごしたとはいえ、18歳で「子供がいない」と責めるのも・・・。

しかし、秀頼には実は2人の隠し子がいたのです。

秀頼には側室が2人いたらしいですね。「和期の方」と「小石の方」という2人です。

その2人の側室が産んだ子が、「和期の方」が産んだ「国松丸」と「小石の方」が産んだ「結姫」。

秀頼は、まだ幼かった千姫ではなく、側室に子供を産ませたというわけですね。

男って奴は(^_^;)

この2人の存在は、千姫を気にかけた秀頼の手によって隠蔽されますが、大阪夏の陣の最中に千姫に明かされたそうです。

千姫は大阪城落城の際に、大阪城を脱出して父と祖父の元に脱出。

この脱出は、秀頼の意思によるものだと言われています。

大切な奥様だけは、生き残ってほしいと願ったのでしょうね。

ところで秀頼の2人の隠し子はというと・・・・大阪城落城の際に、「武田幸三」・・・・じゃなくて「大野治房」に守られて大阪城を脱出!!

「大野治房は大阪城落城後も生き延びた?」の記事はコチラ

しかし運悪く徳川軍に捕まってしまいます。

捕まった2人は、斬首決定!

当時は滅ぼされた敵方の子は殺害が原則!

平清盛」は敵の子「源頼朝」や「源義経」を見逃して、結局平家を滅ぼされてしまいましたからね。

千姫も、夫の不貞の子ということで、この処置に納得していることでしょう・・・・・と思ったら、千姫、「国松丸」と「結姫」の助命を必死で懇願!!

家康と秀忠はこれに困ってしまいます。

千姫・・・・・愛する夫の隠し子を必死で守ろうとするなんて、いい娘ですね(T_T)

千姫の助命嘆願虚しく、国松丸は8歳の幼さで、京都六条河原で長宗我部盛親と一緒に斬首されてしまいます。

そしてもうひとりの「結姫」はというと、助命嘆願の甲斐あって千姫の養女とされて出家。

「縁切り寺」で有名な鎌倉の「東慶寺」で出家し37歳で千姫よりも先に亡くなりました。

千姫と結姫は、出家した後も、手紙や贈り物を交換する非常に良好な関係を保っていたということです。


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■秀頼死後の千姫

大阪夏の陣で秀頼が亡くなった後の千姫はどうなったのでしょうか?

彼女は一度、お公家さんとの婚姻を模索されましたが、それを嫌がり、結局武家に嫁ぐことになりました。

再婚相手は「本多忠刻」。「本多忠勝」の孫で、「真田信之」の妻「小松姫」の甥。

実は大阪城落城後、江戸に戻る際に千姫が一目惚れしたんだとか。相当なイケメンだったと言われています。

ちなみにこの「本多忠刻」は「宮本武蔵」の弟子だったとも言われています。宮本武蔵の養子「宮本三木之助」を側近にしてますね。

「千姫事件」

さて、「千姫事件」をご存知でしょうか?

千姫は、大阪城落城の際に「坂崎直盛」という武将に救出されているのです。

実はこの時、家康は可愛い孫娘を救出しようと必死になっており、「千姫を助けたものには、千姫を妻として与える」と約束していたんだそうです。

やる気になった坂崎直盛は火傷を負いながらも千姫を救出!

しかし、千姫は火傷を負ったブサイクな坂崎直盛を拒絶!

ブチ切れた坂崎直盛は、イケメン本多忠刻に輿入れする際に、千姫をかっさらおうとしましたが失敗。

家来に殺害されてしまいました。

まぁ、坂崎直盛が千姫をさらおうとしたのは、彼が斡旋していた「お公家さんへの輿入れ」が破談になったため、面目丸つぶれになってブチ切れた・・・という説もありますけどね。

とにかく、坂崎家は断絶となってしまったのです。

「本多家」に嫁いだ後の千姫

千姫はイケメン本多忠刻との間に2人の子供を授かります。

最初に長女「勝姫」が産まれ、その翌年に長男「幸千代」が産まれました。

しかし「幸千代」は3歳でなくなってしまいます。

更には1626年には、夫の「忠刻」、千姫のいとこであり千姫を大切にしてくれた姑「熊姫」、そして母「江」を立て続けに亡くしてしまい、千姫はショックと居場所を失ったことから、勝姫と一緒に江戸城へと戻り出家。

天樹院と名乗りました。

彼女はその後、娘と一緒に生活し、70歳で亡くなるまで秀忠と、弟の徳川家光に大切に守られて生活をしたということです。

千姫・・・・2人の夫を早くに亡くし、息子に先立たれて・・・・悲劇の一生だったのでしょう。


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・千姫は徳川家康の孫で、秀忠の娘。

・彼女は豊臣秀吉と徳川家康の約束があったため、わずか7歳で結婚することになった。

・千姫は大阪の陣後、秀頼の2人の隠し子の助命を求めたが、叶わず、国松丸は亡くなってしまった。

・大阪城落城後も、千姫は不幸に見舞われている。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

よろしければコチラの記事も合わせてお読み下さいませ。

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「真田信之は小野お通と浮気してた?実は弟・幸村よりも優秀だった?」の記事はコチラ


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