麻生太郎の書道は一流?実はかなり有能で五輪にも出場した天才
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元・内閣総理大臣・・・麻生太郎さん。
漢字の読み間違いなどをあげつらわれていたため「無能」のレッテルを貼られることもありますが、実はかなり有能?
元・オリンピック選手で、モントリオール五輪にも出場してた?
書道も一流との噂ですが、本当か?調査してみました。
「生臭寺院」へようこそ。
拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。
この記事をざっくり言うと
・書道はかなり上手
・元オリンピック選手!クレー射撃でモントリオール・オリンピックに出場した
・総理大臣として、国内での評価は低いが、国際社会での評価は高い
よろしければお付き合いくださいませ。
■麻生太郎の書道は一流?
漢字の読み間違いや、お坊ちゃま育ちで市民感覚を知らない総理大臣として、マスコミから叩かれまくった「麻生太郎」元総理大臣。
「未曾有(みぞう)」という漢字を「みぞゆう」と呼んだことから、「教養がない」と言われていました。
しかし、そんな麻生太郎さんの書道について、かなり上手ででびっくりした!という声が多数挙がっています。
相当にキレイな字を書いているみたいなのですが、本当でしょうか?
見てみましょう。
さっき書道の話が出たので、これを求められてるのかと思ったw『【画像】麻生太郎元首相の達筆ぶり凄いwwwww http://t.co/a480Lv2U … pic.twitter.com/ToiIf9ii” pic.twitter.com/oRDgiznP】 #kokkai
— ちゃむ (@tyamnyanko) 2012年8月1日
これが麻生元総理の自筆と言われている書です。
かなり上手いですね!!
漫画が好きだという麻生さんらしく、最初に「ゴルゴ」という文字が見えます・・・。
どうやら、教養がないというわけではないみたいです。
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■元・モントリオール五輪代表!結果は?
そんな達筆な麻生太郎さん。
実は元『オリンピック選手』だったということは、ご存知でしょうか?
麻生さんは「1976年」に「カナダ」で行われた「モントリオール・オリンピック」に出場していたのです。
競技は「クレー射撃」
散弾銃を使って、空中に放出される「クレー」と呼ばれる「お皿」を撃ち抜く競技。
学習院大学時代から始めた「クレー射撃」で、麻生さんは「全日本選手権」で日本新記録を叩き出して優勝!
その後は国際大会でも優勝し、オリンピックへ出場する権利を得ました。
モントリオール・オリンピックでの結果は「41位」
残念ながらメダルには届かず、それ以降は、仕事に専念し、一度も銃を手にしていないみたいですね。
実は麻生さん・・・オリンピックに出場した時、競技と並行して「麻生セメント」という会社の社長もと務めていました。
社長とオリンピック選手・・・見事に両立していたみたいです。
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■元経営者で敏腕社長?
麻生太郎さんは、1976年の「モントリオール・オリンピック」の3年前・・・1973年に「麻生セメント株式会社」の代表取締役社長に就任しています。
実は、当時麻生グループは、「事業転換」に苦しんでいた時期でした。
麻生グループは、麻生太郎さんの曽祖父「麻生太吉」氏が、九州・福岡で炭鉱によって財を成し、拡大した財閥です。
しかし、時代の移り変わりから、炭鉱は閉鎖。
麻生グループは事業転換を求められる事となったのです。
1973年といえば、オイルショックの時代です。
簡単に石炭から石油へと、事業を転換することはできなかったことでしょう。
麻生太郎さんは、この時「スーパーマーケット」などへの事業転換を考えたと言っていました。
しかし、そんな中で麻生さんが選んだのは「セメント業」。
多額の設備投資を施した様子を、世間は冷たい目で見ていたとのこと。
「麻生家は4代目の太郎さんで終わったな」
そんな冷笑が麻生太郎さんの耳にも届いていまいた。
しかし、オイルショック後の急回復に乗じて、セメントへの需要は急伸!
麻生セメント株式会社は、一気に事業を安定させたのでした。
曽祖父が築き上げた事業を見事に転換させ、後の「華麗なる一族」の礎を築き上げたのでした。
皇室や大使に、妹たちが嫁ぎ、1979年には社長の座を弟に譲って政界へ進出!
元総理大臣「吉田善幸」氏の三女「千賀子」さんと結婚。
母方の祖父である元総理大臣「吉田茂」と同じく「92代・内閣総理大臣」に就任しました。
「華麗なる一族・麻生兄弟」について、詳しくは以下のリンク記事をご覧くださいませ。
↓↓↓↓↓↓
政界のトップに就任した麻生さんですが、そこから苦難の道が続くことになります。
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■総理大臣時代の実績は?
漢字を読み間違えた・・・失言を繰り返した・・・などと、今でも数々の批判を受けている麻生さん。
マスコミの「偏向報道」という言葉が有名になった今、麻生政権での実績は、本当に当時叩かれていた程に無能だったのか?を調査してみました。
確かに、麻生政権での失政は多数あると考えられます。
当時話題になった「12000円」の定額給付金について
「雇用を生むことのないバラマキだ」
という批判の声もあります。
しかし、どうやら国際社会での評価は、日本国内での評価とはかけ離れているみたいです。
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麻生総理の国際社会での評価
麻生太郎さんの世界での評価は、かなり高かったみたいです。
例えば、2008年11月に行われた「金融サミット」では、イギリスのブラウン首相やフランスのサルコジ大統領と会談し、共同宣言書では、日本が提案した15項目の内、実に8割にあたる12項目が採用され、日本の麻生総理がリーダーシップを発揮したのでした。
日本の雑誌「プレジデント」誌からは
「リーマンショック後、財政出動に対して優柔不断だったアメリカに決断させ、しかも国内での景気回復策は素早かった。
この実績は、疑いようがない」
と評価しています。
リーマンショックによる世界経済の低迷に対して、国内では景気刺激策を連発。
エコカー減税、住宅ローン減税、高速道路ETC割、エコポイント制度、中小企業への支援などなど、「三段ロケット」と称される75兆円もの景気刺激策を施していました。
経営者としての経験と嗅覚を活かして、企業を後押しする政策を次々実行。
皮肉なことに、これらの政策は1年で終了した麻生政権下では効果を確認できず、麻生政権が倒れた後の民主党・鳩山政権のもとでも引き継がれています。
今から思えば、当時はマスコミが「自民党政権」への批判を、躍起になって行っていました。
麻生さんの「失言」や過激な物言いについては、全く擁護するつもりはありませんし「自民党の議席を減らし、その結果として後に酷評されることとなる民主党政権誕生のきっかけをつくった」という点では、結果を出すことができなかった人だと思います。
しかし、その後の安倍政権では、財務大臣・副総理として政権の中枢を長く支え、GDPを1割増加させ、消費増税を2度も延期させ、失業率を4%から3%へ1ポイント改善させたなどの実績も忘れてはならないのではないでしょうか。
2009年7月、麻生総理が衆議院を解散させて選挙に挑んだ時のこと、政治評論家の「三宅久之」氏は、麻生さんの祖父「吉田茂」が行った「バカヤロー解散」をもじって、麻生太郎氏の解散を「バカヤローの解散」と呼んでいました・・・。
何もそこまで言わなくても良かったのかも・・・・。でもまぁ、自民党政権を一度終わらせた人ですから、仕方ないかもしれません・・・。
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■まとめ
本日の記事をまとめますと
・漢字の誤読はあったが、書道はかなりの腕前
・「クレー射撃」でオリンピックに出場した実績がある
・麻生セメントの社長として「麻生グループ」の事業転換を成功させた
・国際社会では、金融サミットなどでリーダーシップを発揮した
・失言が多く、民主党に政権を明け渡したという点では、政治家として結果が伴っていない
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
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