石原莞爾の子孫は?彼の名言と著書・最終戦争論の要約を易しく解説!

天才参謀「石原莞爾」

対米開戦・太平洋戦争にめちゃくちゃ反対しておきながら、「満州事変」という太平洋戦争のきっかけを勃発させた張本人!

彼が記した「最終戦争論」は、現代世界を予言していた名著?

そして、「天才参謀」の名言をご紹介させて頂きます!


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下のリンク記事は別タブで開きます。

「戦国時代(大河ドラマ関連)」の記事はコチラ

■目次

「石原莞爾」のプロフィールとその伝説

子孫はどこに?

名言!

最終戦争論とは?後に修正した自論とは?

本日のまとめ

その他の記事

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。


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■「石原莞爾」のプロフィールとその伝説

この記事では「わかりやすく」を最優先させていただきたいと思います!

そのため、史実とは多少異なる点があるとは思いますが、どうかご勘弁下さいませ(T_T)

異端児「石原莞爾」

名前・・・・・・・石原 莞爾(いしわら かんじ)

生年月日・・・・・1889年1月18日

死没・・・・・・・1949年8月15日(60歳)

出身地・・・・・・山形県西田川郡鶴岡

墓・・・・・・・・山形県飽海郡遊佐町菅里

あだ名・・・・・・軍事の偉才・帝国陸軍の異端児

除隊後・・・・・・立命館大学教授

好きなもの・・・・甘味・阿南惟幾(あなみ これちか)

嫌いなもの・・・・東条英機(上司と呼べる奴ほとんど全員)・白人・アメリカ・酒

著書・・・・・・・「世界最終戦論(最終戦争論)」

最終階級・・・・・中将

引用元ウィキペディアより

天才的幼少期

石原莞爾は幼い頃からとんでもない暴れん坊だったみたいです。

彼は警察官の父・啓介と母・カネイの間に生まれました。兄2人が夭折していたので、実質的に長男。

小学校入学前、彼は姉に連れられて行った小学校で大暴れ!

見かねた校長先生が石原莞爾にテストを受けさせると、当時の一年生の中でも最高の成績!

そのため、小学校入学時、いきなり飛び級で2年生に!

やる気ゼロでも大学合格

士官学校卒業後は、隊長の命令で陸軍大学校を受験。

受験を強要された理由は、当時石原莞爾が所属していた連隊から、陸軍大学校に入学した人間が皆無だったため、最高成績の石原莞爾を大学校に入学させようとしたという隊長の思惑があったんだとか。

しかし、当の本人にはやる気ゼロ!!ところが、試験勉強を全くやっていなかったにも関わらず合格。

しかもやる気もなく合格したにも関わらず、卒業時の成績は2番目!つまり次席で卒業!

本当は首席の成績だったらしいのですが、首席には天皇陛下に対して講演する資格を与えられる予定であったそうです。

しかし石原莞爾の服装が汚らしかったため、成績を書き直されて2位に落っこちてしまったんだとか・・・。

基本的に上司は嫌い

酒が全く飲めなかったらしく、上司に酒を勧められすぎてブチ切れ、「飲まねー!!」と大絶叫!!

上司の長い演説に対しては「バカヤロー」と野次って演説を中断させた!

二・二六事件のとき、上司をバカ呼ばわりして

「お前みたいなのがいるから、こんな反乱が起こったんだ!」

と絶叫!

上司からは嫌われていたらしいが、その迫力と有能さからカリスマ性を発揮し、部下や同期からはかなり慕われたある意味「反逆のカリスマ

部下に対してはかなり優しかったらしく、食事や衛生面での見直しを徹底的に行い、兵士の日用品を売っている売店を拡張するなどしてます。

更には陸軍の記念式典で、通常数時間かかるはずの式典をたった5分で終わらせて大声で「解散」と宣言!

兵士たちはとっとと帰れて歓喜!!

まさに「反逆のカリスマ」!上司の嫌なところは徹底的に逆をやって部下に慕われる!!

銃兵に対して一喝して生還!!

青年将校たちが反乱を起こした「二・二六事件」では、鎮圧部隊の最前線にいたそうです。

彼は反乱軍に占拠された陸軍省に単身で乗り込み、門番に銃を突きつけられたにも関わらず、凄まじい形相で

「陛下の軍隊を私するな!!オレを殺したきゃお前自身の手で殺してみろ!」

と怒鳴り散らし、迫力にびびった門番を押しのけて登庁に成功!

陸軍省内で銃を突きつけられ、「敵か味方か?」を尋ねられると「わからん」と一言、さらには

「こんなことはすぐやめろ!!やめなきゃ討伐だ!」

と怒鳴り散らして、相手が銃を持っているにも関わらず、ビビらせて無事帰還したというのです。

上司は基本的に嫌いだが、東条英機は特に嫌い!

さらには当時、石原莞爾の上司で、後の首相となった「東条英機」を徹底的にバカにしていたそうですね。

挙句の果てには太平洋戦争でボロボロになった日本を立て直そうと、柔道家「牛島辰熊」と一緒に東条英機を暗殺しようとしたそうです。

牛島辰熊は「450戦無敗の柔術家」こと「ヒクソン・グレイシー」の父「エリオ・グレイシー」を倒した柔道家「木村政彦」の師匠ですね。

実際、暗殺する前に東条英機内閣は退陣したので実行はされなかったみたいです。

ちなみに、空手家の「大山倍達」は、石原莞爾を支持した弟子の一人だったそうです。

石原莞爾が東京裁判に出廷する際に、リヤカーに乗っていたらしいのですが、このリヤカーを引いていたのが大山倍達!

東京裁判に出廷した時に、東条英機との対立について尋ねられると、

「オレには思想があるけど、あいつにはない。

だから東条英機と対立なんてそもそもできねーし!」

とさらに挑発を重ねる始末。

ただ、終戦時の陸軍大臣「阿南惟幾」にだけは敬意を払っていたそうですね。

「阿南惟幾」といえば、映画「日本にいちばん長い日」で「役所広司」さんが演じた人ですが、彼の指示にだけは素直に従ったらしいです。

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■子孫はどこに?

石原莞爾の子孫は一体どこにいるのでしょうか?

調査してみたところ、大物がいました!

石原莞爾の孫が、現役で大活躍しています。

名前は「石原俊爾(いしわら としちか)」さん

2016年現在、「TBSテレビ」の会長を務めています。

元々はアナウンサーとして仕事をしていたらいいですが、2015年に会長に退くまでTBS社長として仕事をしておられました。

石原莞爾の孫だけあって、「爾」の字を受け継いでおられるんですね。

祖父の石原莞爾は天才的な人物で、人に従うよりも、人を従わせる能力に長じていたみたいですからね。

その能力を、孫の石原会長も引き継いでおられたのかもしれません。


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■名言!

石原莞爾の名言!!

石原莞爾の名言としては、アメリカを徹底的に敵視していたことを表す名言がありますね。

ベルリン留学時のある日の集会で、後輩の一人から質問を受けた石原莞爾

「日本へ帰る途中にアメリカに寄り道しますか?」

という質問に対して

「行かねーよ!!オレがアメリカに行くのは日本軍の対アメリカ司令官として、上陸するときだけだ」

つまり、アメリカを攻めるときにしか行かね-!!ってことですね。

石原莞爾はアメリカを徹底的に嫌っていたらしく、白人を「撲滅しなくちゃいかん鬼だ」とボロクソに言っていたみたいです。

しかし、大嫌いなはずのアメリカとの戦争には断固として反対!

「油がねーからって戦争始めるとは・・・・馬鹿か!!」

と言ってたみたいです。

アメリカが嫌いであるにも関わらず、太平洋戦争に反対とはなぜなのか?

理由は簡単!「勝てない」から。

いくら嫌いな相手でも、勝てない喧嘩はすべきでない、ということでしょうね。

山本五十六も、アメリカの石油の禁輸に対しては怒りを抱いていたらしいのですが、アメリカとの戦争は日本を滅ぼしてしまうと考えていたので、反対していました。

山本五十六が対米開戦に反対していた理由も「勝てないから」だったのでしょう。

詳しくは以下のリンク記事を御覧下さいませ。

リンク記事は別タブで開きます。

真珠湾攻撃の真実をわかりやすく解説!日本軍はなぜハワイを攻撃した?」の記事はコチラ

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■最終戦争論とは?後に修正した自論とは?

最終戦争論

それは石原莞爾が1940年頃に講演した内容が基になっているみたいです。

最終戦争論とは、つまり「戦争はいずれなくなる」という理論ですね。

戦争とは、武器が進化することによって形を変えてきた、のだそうです。

それによると、織田信長が天下統一直前まで行けたのは「鉄砲」が渡来したから。

世界はいずれ、最終戦争を経て一つにまとまることになる。

その前段階として、南北アメリカ(アメリカ合衆国を中心として)、ソビエト連邦、ヨーロッパ、東アジア(日本など)の4つにまとまるだろう。

ソビエト連邦は崩壊が目に見えているし、ヨーロッパも大国ばかりだからまとまることは出来ない。

残るは南北アメリカ(アメリカ合衆国)と東アジア(日本など)。

この2つがぶつかる日がいずれ来る。この時、日本が勝つか、アメリカが勝つか、この戦争が最終戦争になる・・・ということです。

この戦争が最後の戦争になる。なぜなら、その後、武器が進化しすぎて、かえって戦えなくなるのだそうですよ。

石原莞爾は「無着陸で世界を何周も出来る武器」や「一発で街が吹き飛ぶ爆弾」を想定していたみたいです。

現代で考えると、「無着陸で世界を何周も回れる武器」というのは「戦闘機」や「大陸間弾道ミサイル」のことでしょう。

「一発で街が吹き飛ぶ爆弾」は「核兵器」でしょうね。

これらの武器が存在することで、安易に戦争を開始することが互いにできなくなり、結局戦争はなくなる。

というのが、石原莞爾の最終戦争論の簡単な要約・・・・・でしょう(^_^;)

ちょっと大雑把に書きすぎかもしれませんが、なんとかご理解をいただきたい。

かなり難しいんですよ「最終戦争論」って(T_T)

ちなみに、太平洋戦争に敗北した後は、この「最終戦争論」を修正。

「日本とアメリカの戦争が最期の戦争」

としていた理論を

「憲法9条を言い訳にして、武力を使わずに、アメリカとソ連という2大国の戦争をなんとか日本が取り持って、最終戦争なしに世界を一つにまとめる。その時、日本は東アジアの主導的な地位を占めるべきだ」

と改めています。

これは、東西冷戦までの世界情勢を予測していたってことでしょうね。


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・石原莞爾・・・・成績優秀だけど、上司に逆らう反骨精神の持ち主

・孫がTBS会長の石原俊爾

・名言としては「オレがアメリカに行くのは攻め込むときだ」

・最終戦争論で、「核兵器」や「大陸間弾道ミサイル」などを予言していた。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

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■その他の記事

よろしければコチラの記事も合わせてお読み下さいませ。

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