常岡浩介の安否は?wikiプロフィール!イスラム教徒で島原高校出身
Warning: Use of undefined constant user_level - assumed 'user_level' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/xyz123456789/namagusa.com/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 524
ジャーナリストの常岡浩介がイラクで拘束?安否は?
彼はアフガニスタンとパキスタンでも拘束されたことがありました。
アフガニスタンでの5ヶ月の拘束生活について、彼は週刊朝日に語ってました。
「2度、死を覚悟した」と。
どうして彼はこれほどまでに拘束されまくっているのでしょうか?
「生臭寺院」へようこそ。
拙僧は住職の「生臭坊主」こと省略して「ナマズ」と申します。
よろしければお付き合いくださいませ。
南無阿弥陀仏・・・。
■「常岡浩介」プロフィール
名前・・・・・・・常岡 浩介(つねおか こうすけ)
生年月日・・・・・1969年7月1日(2016年11月現在47歳)
出身地・・・・・・長崎県島原市
現住所・・・・・・東京都中野区
宗教・・・・・・・イスラム教徒
高校・・・・・・・県立島原高校(偏差値52)
大学・・・・・・・早稲田大学人間科学部(少女漫画研究会で、コラムニスト「勝谷誠彦」の後輩だった)
職業・・・・・・・ジャーナリスト(元・長崎放送報道部記者)
引用元ウィキペディアより
お騒がせなジャーナリストの常岡浩介さん。
2014年には、北海道大学の大学生がISIL(イスラム国)に参加しようとした件について、関わったと疑われ、警察に家宅捜索をされています。
ちなみにその時、同じくイスラム教徒の「中田考」氏も、その大学生をイスラム国に仲介したとして家宅捜索を受けています。
常岡浩介さんはこの事件を「警察が大げさに発表しただけで、大学生にイスラム国の戦闘参加の意思はなかった」と主張しています。
彼が言うには、真相はこうです。
「大学生は、イラクへの同行取材を申し出ただけ。イスラムへの関心もなく、現実逃避で行こうとしていたに過ぎない。警察は大学生と何度も会っていて、それを知っていたはずなのに、大々的に事件として報道されてしまった。」
ちなみに常岡浩介さんと同じく、家宅捜索を受けた中田考さんが言うにはこの事件、「勘違いされた」だけだそうです。
この中田考という人物は、コラムニスト勝谷誠彦さんの高校の同級生ですね。
そして、勝谷誠彦さんと常岡浩介さんは大学で先輩後輩の仲。
もしかしたら、常岡浩介と中田考を結びつけたのは勝谷誠彦さんだったのかな?まさかね(^_^;)
ちなみに常岡浩介さんの出身高校である島原高校は、それほど偏差値が高い高校ではない様子。
ここから早稲田大学に入学したってことは、常岡浩介さん、かなり優秀なんじゃないでしょうかね?
下のリンク記事は別タブで開きます
sponsored link
■「常岡浩介」拘束報道!安否は?
2016年10月31日、日本の外務省は、イラク北部で取材していたジャーナリストの常岡浩介さんが、クルド人自治政府当局に拘束されたと発表しました。
彼が取材していたイラク北部では、イスラム国こと「ISIL」が事実上支配している主要都市「モスル」にて、イラク軍とISILとの戦闘が行われているそうです。
彼を拘束してのは、当初「イスラム国」だと考えられていたが、実際にはイスラム国と敵対関係にある自治政府の治安部隊「ペシュメルガ」だとか。
「ペシュメルガ」が常岡浩介さんに対して危害を加える可能性は低いらしいです。
常岡浩介さんに怪我はないとのこと。
一安心ですね。しかしこの常岡浩介さんというかた、以前にも何度か「拘束」された事がありましたよね。
追記いたします。
2016年11月7日、常岡浩介さんが解放されたそうです。
拘束された理由は「イスラム国」のキーホルダーを持っていたためだそうです。
常岡浩介さんはツイッターで
「釈放なう。明日、夕方帰国いたします。ご心配おかけしました。皆様、ありがとう」
「2年前に取材で入手したISのキーホルダーを資料として持っていたのですが、大統領記者会見のセキュリティチェックでこれが問題とされ、ISSUINGのメンバーではないかという疑いで逮捕、尋問を受けていました。」
とりあえず解放されて安心ですね。
sponsored link
■2010年にもアフガニスタンで拘束された?
2010年、常岡浩介さんは、一度拘束されたことがありました。
それは2010年の4月1日、アフガニスタンでタリバンの幹部を取材していた際に誘拐されたと言います。
そのまま5ヶ月間も拘束され、その後解放。噂では、日本政府が「身代金を支払った」と言われていますが、どうなんでしょうか?
本人は身代金の支払いを否定してました。
アフガン政府は、犯人はタリバンだと発表したそうです。
この時の恐怖を、常岡浩介さんは週刊朝日に対して語っています。「2度、死を覚悟した」と。
「1度目は、身代金要求のために電話をかけさせられた時」
「2度目は、スパイ容疑をかけられた農民が近くで殺害された時」
彼は5ヶ月間もの間、衛生環境が劣悪な状態で監禁され、その後解放されました。
この時、常岡浩介さんは、危険な地域に踏み入って拘束されたことを申し訳なく思う、と言ってました。
しかし、だからといって、危険地帯の取材を行わないことはジャーナリストとして許されないとも語ってました。
それにしても常岡さん、拘束されすぎでしょ。
この騒動の9年前の2001年には「チェチェン」で一時行方不明になりました。その2年後には「常岡浩介は日本国籍のテロリスト」とチェチェンで報じられたそうです。
さらには2004年にロシア秘密警察に拘束されて強制退去させられます。
どうしてこれほどまでに拘束されまくっているのでしょうか?
運が悪いのか?それとも、テロリストだと本気で思われてしまったのか?
sponsored link
■2011年にはパキスタンでも拘束?
彼は2011年9月17日にパキスタンの空港で拘束されました。
拘束したのはパキスタン当局。
中田考さんと一緒に拘束されたそうです。
中田考さんはすぐに解放。しかし常岡浩介さんは6日間もの間拘束され続けます。
どうして拘束されたのか?というと、どうやら「アフガニスタンに行って、テロリスト側について戦闘に参加する」と勘違いされたらしいですね。
彼は2003年に「チェチェン」で「日本国籍のテロリスト」と報道されているそうです。
おそらくなのですが、この情報が元となって、彼はあらゆる地域で「危険人物」とみなされているのではないでしょうか?
危険なテロリストに拘束されるならともかく、当局に拘束されるということは、各国政府に「危険人物」とみなされているということでしょう。
しかし、実際には常岡浩介さんという人は、特に危険な人物でもないみたいです。
今はとにかく一刻も早く、イラクから無事に帰ってきてほしいものです。
sponsored link
■本日のまとめ
本日の記事をまとめますと
・常岡浩介さんというジャーナリストがイラクで拘束された。
・拘束したのは、クルド人自治政府当局。
・怪我はなく、危害を加えられる可能性は低い。
・常岡浩介さんは以前にも、パキスタン・アフガニスタンで拘束された事がある。
以上となります。
本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
またよろしければお付き合いくださいませ。
それではこの辺で失礼致します。
南無阿弥陀仏・・・。
よろしければコチラの記事も合わせてお読み下さいませ。
リンク記事は別タブで開きます。
sponsored link
こちらも合わせてお読みくださいませ!
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。