きりと真田幸村の最後とは?実は伊達政宗に保護された娘は彼女の子?

大河ドラマ「真田丸」

真田幸村にくっついて、いつもワーワーと騒がしい長澤まさみちゃん演じる「きり」

高梨内記の娘で、幸村の側室だった彼女は史実上、どのような最期を遂げたのか?


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「戦国時代(大河ドラマ関連)」の記事はコチラ
きりちゃん真田幸村のキスシーンは史実通り?最後の夜にキスしてた?」の記事はコチラ

■目次

大河ドラマ「真田丸」・・・きりちゃん

幸村の三女「お梅」ちゃんの母?伊達政宗に保護されたのは「きり」の子?

「きり」と「真田幸村」の最期とは?

本日のまとめ

その他の記事

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。


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■大河ドラマ「真田丸」・・・きりちゃん

大河ドラマ「真田丸」49話「前夜

迎撃の備えが完成していない状態で開戦してしまった「大阪夏の陣

道明寺口で後藤又兵衛基次が、徳川家康の本隊を迎え撃ち、若江方面で木村重成長宗我部盛親が徳川の別働隊を迎え撃つはずだった・・・。

ところが、なぜか敵にコチラの迎撃の体勢が筒抜けになっており、家康は道明寺口に別働隊を・・・・若江方面に本隊を配置する。

豊臣軍の情報を徳川軍に伝えていたのは、台所務めのおじいさん「大角与左衛門

大角与左衛門について、詳しくは以下のリンク記事をご覧くださいませ。

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大角与左衛門wiki風プロフィール!なぜ豊臣を裏切ったの?」の記事はコチラ

道明寺口の徳川別働隊は、後詰めの真田幸村毛利勝永が到着する前に道明寺の後藤又兵衛隊を攻撃。

徳川軍・参謀の本多正信に「裏切り」の噂を立てられて、自らの潔白を証明しようと焦っていた後藤又兵衛は、敵の真っ只中に突っ込んで戦死。

その後、真田幸村隊が後藤又兵衛隊を吸収して大阪城に撤退。

伊達政宗の猛攻を退けた。

伊達政宗は、敵ながら見事な戦いをした真田幸村に感心。

真田幸村も、伊達政宗の人物を評価していたらしく、妻子を政宗に預けることにした。

預けられたのは、大谷刑部吉継の娘「春」こと「竹林院」。そして、真田幸村の次男「大八」と、娘の「お梅」。

幸村は、「きり」ちゃんに、「もしもの事があったら、千姫を連れて徳川秀忠の陣へ駆け込め」と伝える。

その後、沼田の真田信之のところへ行け、と指示。

しかし、きりちゃんは

「源次郎様がいない世に生きてもしょうがない」

と言って、大阪城に戻ってくると宣言。

思わずきりちゃんを抱きしめてキッスする真田幸村。

「遅い!10年前が1番キレイだったのに」

と言って身を任せるきりちゃん・・・。

最も長く真田幸村のそばに使えた女性の真実と最期とは?どんなものだったのでしょうか?

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■幸村の三女「お梅」ちゃんの母?伊達政宗に保護されたのは「きり」の子?

さて、大河ドラマ「真田丸」では、正室「春」ちゃんと、その子「大八」「お梅」が伊達政宗に保護される事になっています。

しかし、史実ではこれはちょっと違うみたいです。

伊達政宗に保護された「大八」は、後に「仙台真田家」を起こして、伊達家の家来として仕えることになります。

そしてもう一人、「お梅」なのですが、彼女は「きり」ちゃんの娘なんだそうです。

このお梅という人物、伊達政宗の幼馴染で参謀「片倉小十郎景綱」の長男、「片倉重長」の側室(一説では後妻)となっているそうです。

実は「大谷刑部吉継」の娘「竹林院」は、伊達政宗に保護されておらず、大阪夏の陣の際に大阪城を退去。

徳川家康に捕まってしまってます。

竹林院はその後、自らの産んだ、真田幸村の七女「おかね」さんとその夫「石川重正」という京都の金融業者に引き取られて京都で過ごしたと言われています。

ちなみに「おかね」さんの夫は「石川重正」ではなく、元大名で重正の父「石川貞清」であるという説もありますが・・・・・おそらく息子の重正がおかねさんの夫だと思われます。

きりちゃんの娘・お梅ちゃんはその後、弟の「大八」こと「真田守信」と一緒に仙台で過ごしたということですが・・・・。

肝心のきりちゃんはどこに行ったのでしょうか?


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■「きり」と「真田幸村」の最期とは?

きりちゃん・・・・彼女は一体どこに行ってしまったのでしょうか?

きりちゃんの父、高橋内記は真田幸村・大助と共に、大阪夏の陣で討ち死にしているということですが、きりちゃんの最期はわかっていません。

真田幸村の最期は、有名ですね。

3500の兵士を率いて徳川家康の本陣に突っ込んだ真田幸村。

彼は馬上筒を構えて家康の首を狙いますが、家康は後方へ逃亡。

一度は真田幸村隊に壊滅させられたはずの家康の孫「松平忠直」隊が真田隊を追い詰め、最終的に壊滅。

徳川家康の馬印「金扇」は、真田隊に倒されたそうです。

この馬印を倒したのは、真田幸村と「三方ヶ原の戦い」における「武田信玄」のみ。

真田幸村はその後、安居神社で休足していたところ、松平忠直の家来「西尾宗次」に討ち取られたそうです。

西尾宗次さんはその功績から、1100石を加増されて、1800石を収めたみたいですね。

ちなみに、真田幸村隊を壊滅させた松平忠直はその後、狂ったかのように失政をやりまくって、徳川秀忠から島流しの刑にされています。

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徳川秀忠の死因は?戦は下手だけど、実は体育会系の身体と、厳正な裁きが出来る冷徹な政治家だった?」の記事はコチラ

きりちゃんのその後

ところで、きりちゃんの最期として考えられる可能性は2通りあると思われます。

1,大阪夏の陣で父・夫とともに亡くなった。

2,仙台に行った娘「お梅」のところで保護された。

お梅の夫「片倉重長」は伊達家でも重臣として知られているので、きりちゃん一人を養うのは簡単だったことでしょう。

で、もう一つの説「大阪城で亡くなった」についてですが、きりちゃんが大阪城で亡くなったのか?というと疑問が残ります。

大河ドラマ「真田丸」では、真田幸村の家族は大阪城に幸村と一緒に入城しています。

が・・・・最期を悟った真田幸村が、家族を逃がすこと無く、落城寸前の城に残すでしょうか?

おそらくですが、きりちゃんこと「高橋内記の娘」は大阪城を退去して避難しているでしょう。

彼女が頼る場所といえば、仙台しかありません。

徳川軍に捕まった可能性もあるとは思いますが、真田幸村の正室「竹林院」も徳川軍に捕まっていますが後に釈放されています。

女性だったため、命を助けられたのでしょう。

おそらくきりちゃんも、たとえ徳川軍に捕まったとしても、釈放してもらったことでしょう。

きりちゃん・・・・仙台で穏やかな一生を過ごしたと、信じたいですね。


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・真田丸で、きりちゃんと真田幸村が・・・・・。

・実は伊達政宗に保護された真田幸村の娘「お梅」はきりちゃんの娘だった。

・きりちゃんは、おそらく大阪城落城後は仙台の娘「お梅」を頼ったのではないか。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

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■その他の記事

よろしければコチラの記事も合わせてお読み下さいませ。

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真田幸村の息子・真田大助の最期とは?後世美談とされるほど見事な最期だった?」の記事はコチラ


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