岡田有希子の脳みそ写真を撮ったカメラマンも自殺?真相を徹底調査!

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悲劇の最期を遂げたアイドル、「岡田有希子」

当時、彼女の変わり果てた姿は新聞に掲載されていました。

その写真を撮影したカメラマン・・・・彼は・・・・岡田有希子さんと同じ最期を遂げたと噂になりましたが・・・。

この事件の真相を調査しましょう


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■目次

岡田有希子の事件詳細

日記の存在と、峰岸徹・舘ひろしとの関係など

心霊現象の噂!脳みそ写真を撮ったカメラマンが!

真相は?事件後、資料が紛失した?

本日のまとめ

その他の記事

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。


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■岡田有希子の事件詳細

 

岡田有希子プロフィール

名前・・・・・・・・岡田 有希子(本名・佐藤 佳代)

生年月日・・・・・・1967年8月22日ー1986年4月8日

出身地・・・・・・・愛知県一宮市

血液型・・・・・・・O型

身長/体重・・・・・155cm/44kg

高校・・・・・・・・名古屋市立向陽高校入学・・・堀越学園卒業

引用元ウィキペディアより

岡田有希子の事件詳細

岡田有希子さんは1986年4月8日、お亡くなりになられました。

岡田有希子さんの全国コンサートの3日後だったそうです。

岡田さんは、その日自宅マンションで、自らの手首を傷つけ、部屋の中にガスを充満させたとか。

幸いなことに、同じマンションの住人がガスの臭いに気づいて管理人に報告・警察とガス会社が駆け付けて、大事にはならなかったと言われています。

彼女は救出されたその時、押入れの中で膝を抱えて涙していたということですが・・・。

その後岡田有希子さんは、自宅マンション近くの「北青山病院」で、手首の怪我を治療。幸いなことにそれほど大きな怪我ではなかったらしいので即日退院。

その後、所属していた事務所「サンミュージック」の四谷オフィスに戻ったそうです。

後にサンミュージックの名誉顧問となった当時の専務「福田時雄」氏は、この時、岡田有希子さんを事務所へと連れて行った張本人。

彼は事務所について、まず岡田有希子さんを社長室へと連れて行ったそうです。

その時、岡田有希子さんの周囲には「付き人」「福田氏」の2人しかいませんでした。

彼女と親しい事務所スタッフ、当時の会長だった相澤氏は「歯科医」、マネージャーだった溝口伸朗氏は「子供の幼稚園の式」など・・・個人的な用事に追われて外出中。

福田氏は、彼女を社長室へと連れて行き、付き人と岡田有希子さんの三人でいたとのことですね。

しかし福田氏はその後電話を受けるために部屋を出ました。

そして戻ってくると付き人さんだけが部屋に残っており、岡田有希子さんの姿がない・・・・。

どうやら岡田有希子さんは、付き人に何も言わずふらりと部屋を出たそうです。

付き人さんは「トイレ」へ行ったものと思い、特に何も警戒していなかったんだとか。

必死で彼女の姿を捜す福田氏。

探しに行った先は屋上。

すると、屋上には、彼女が病院からそのまま持ってきてしまったスリッパが並んでいた・・・。

12時15分、岡田有希子さん・・・・・享年18歳。

この後、「ユッコ・シンドローム」と言われた、若者による、岡田有希子さんの後を追う行動が多発してしまったそうです。

これに対しては国会の議論でも取り上げられるほどだったとか。

岡田有希子さんの後を追うかのように飛び降りる方が、彼女の死後一週間で8名もいたということです。

しかも約1ヶ月後に同じビルから飛び降りた人も。

彼女の後を追った人数は約30人。

後を追う目的だったかどうかはわかりませんが、この年の若者の自死は例年の平均より多く800件を超えていたと言われています。

彼女がこんな行動をとってしまった理由はなんだったのでしょうか?

後に「福田氏」は岡田有希子さんについてこう語っていたそうです

「岡田有希子が何に悩んでいたかはわかりません。ただ、躁鬱の激しい子だった」

つまりはハイになったりヘコんだりという波が激しい多感な人だったということですね。

もしかしたら、何かの病気だったのかもしれませんが、現在とは違い、当時はそういった病気の知識は一般的なものではなかったのかもしれません。

後に岡田有希子さんの「日記」なるものが出回っています。

そこには驚くべき事が書かれていたそうです。

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■日記の存在と、峰岸徹・舘ひろしとの関係など

 

日記に書かれていたこと、峰岸徹との関係と妊娠の噂

事件の後、一部報道で会長の相澤氏のコメントが掲載されました。

信憑性は定かではないのですが、それは以下のような内容。

「私が歯医者から事務所に行くと、ビルでは大騒ぎで人だかりができていた。

彼女が亡くなっていたんです。

その時、私はこう思いました。

岡田有希子はガスや手首の怪我について、私に叱られるのが怖くて、それで屋上から・・・・と。

しかし、彼女の日記風のノートが見つかり、それを読んで、事の真相がわかりました」

ノート・・・。遺書ということでしょうかね。

1度目のガスを利用した際には、おそらく鬱のような症状でやってしまったのでしょう。

そして2度めは、相澤氏に叱られるのを恐れて・・・・ということなのでしょうか?

元専務の「福田氏」が言うには、2度目の屋上からの一件は

「騒動を起こして、とんでもないことをしてしまった。もう生きてはいけない」

と思い詰めてのものだろうと言ってました。

つまり1度目の騒動と2度目の騒動と、事情が違うってことなんでしょうね。

さて、ノートです!!そのノートには何が書かれていたのでしょうか?

そのノートによると、岡田有希子は、ある男性に好意を抱いていたというのです。

相手の男性は俳優の「峰岸徹」さん。

峰岸徹さんは当時43歳。婚約者がいてしかも子供がいたということですが・・・。

岡田有希子さんと峰岸徹さんはドラマ「禁じられたマリコ」で共演した仲。

2人の年齢差は25歳。

ノートには、岡田有希子が峰岸徹に対して好意を抱いており、それが嬉しかったが、想いが届くはずがないと絶望して苦しんだ様が書かれていたとのことです。

その為、彼女はうつのような状態になって、とんでもない選択をした・・・。

報じられた会長・相澤氏のインタビューではそのように書かれていたそうですが・・・。本当なのでしょうか?

これに対して峰岸徹さんはインタビューにこう答えています。

「正直ものすごくショック」

「僕は彼女の兄貴のつもりだったが、彼女にはそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない」

と沈痛な面持ちで語っていたとか。

岡田から告白された事は?という質問に対して、峰岸徹さんは

「ありません!具体的には!」

「僕からは・・抽象的には」

とのこと。

抽象的には・・・・というのは、おそらく、「付き合ってください」とかいうものではなく、峰岸さんから岡田有希子さんに対して「気に入ったぞ」みたいな感じで抽象的に好意を表現したということでしょう。

後に、岡田有希子さんの母が残した書籍には、峰岸徹への謝罪の言葉がかかれていたそうです。

「取り沙汰された峰岸さんに申し訳ない」

と母親は言っていたらしいですね。

噂では妊娠していた・・・・なんて事も言われていますが・・。

ちまたのうわさなので、根拠はありません。

その相手が峰岸徹さんだとも言われていますが、それもなんの根拠もないものです。

当時の峰岸徹さんの周辺の人間は、峰岸さんがそんなことをするとは思えないと言っていたそうですが・・・・。

彼は当時、妻と離婚した直後で、一人娘を引き取り、溺愛していたとか・・・。

そんな人が、未成年を妊娠させるでしょうかね?

ちょっと考えにくい気がします。

元専務の福田氏も、

「一方的な片想いだろう」

と言ってました。

舘ひろしとの関係

舘ひろしさん・・・当時岡田有希子さんと舘ひろしさんの関係も、事件と関連付けられて噂されていました。

岡田有希子さんは彼とどういう関係だったのか?

実は岡田有希子さんは舘ひろしさんのファンだったというのです。

同じ名古屋出身で、ドラマ「西部警察」のファンだったらしいですね。

彼女は「ザ・トップテン」という番組で舘ひろしさんに出会いました。

その後進行を深めた2人。

一部の噂では、岡田有希子さんと「石原軍団」の関係を疑う声もあったようです。

枕営業だとかなんだとか・・・。

当時「ヤンチャ」な映画に出演しまくっていた舘ひろしさん。

私生活においても、結構危ないあんちゃんという噂がありましたので、そんな反社会的勢力と、岡田有希子さんがつながっていたのでは?と疑われてしまったみたいです。

さて、舘ひろしさんのファンだった岡田有希子さん。

彼女は舘ひろしさんのグッズを買い集めていたらしいのですが、それに対して舘ひろしさんは、

「レコードとかグッズはプレゼントするから、お金は貯めておきなさい」

と助言!さらには

「仕事を頑張りすぎないで。遊びのつもりでわがままを言いまくって好き勝手やったほうがいいよ」

と大人なアドバイス。

岡田有希子さんはうつになりやすかったということです。

彼女はどうやら頑張りすぎるタイプの人間だったらしいですから、舘ひろしさんはそんな彼女の性格を見抜いて、的確なアドバイスをしていたのかもしれませんね。

そんな舘ひろしさんが、岡田有希子さんと関係があった・・・というのはちょっと無理があるような気がします。

舘ひろしさんのアドバイスを見てみると、妹分を気遣う兄の様に感じます。

男女の関係ではないのではないでしょうかね。

そして、反社会的勢力との関係についても、ちょっと考えにくいのでは?

岡田有希子さんの所属するサンミュージック・・・・所属タレントを大切に育て、アットホームな雰囲気だと言われている事務所です。

その「アットホーム」さが仇となって、「酒井法子」さんや「ベッキー」さんなど、事件やスキャンダルを引き起こしてしまう管理体制の甘さがあるかもしれませんが、流石に当時未成年だった岡田有希子さんの管理は十分に行っていたと思われます。

ですので、多分、岡田有希子さんの人付き合いにも気を使っていたのではないでしょうか。

彼女は高校を卒業すると同時に、それまで居候していた「相澤氏の自宅」を出て、港区南青山にあるマンションで一人暮らしを開始したということです。

それはオートロックのマンションが見つかるまでの間のつなぎだったらしいです。

引っ越したのは4月4日、つまり事件の4日前・・・・・。

相澤氏と一緒に暮らしていたというのですから、おそらく交友関係にマズイところなどなかったのではないでしょうか・・・。


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■心霊現象の噂!脳みそ写真を撮ったカメラマンが!

岡田有希子さんには、事件後、心霊現象やらなんやらの噂がまことしやかになされていました。

それは一体どういうものだったのか?

例えば、「中森明菜」さんの心霊現象の噂がありました。

事件の1月半後、5月28日、「夜のヒットスタジオ」に出演した「中森明菜」さん。

歌う中森明菜さんの後ろに岡田有希子さんが写っている!!テレビ局に視聴者から大量に電話連絡があったんだとか。

この番組は生放送のため、生前に収録されたものではないので、写っているはずがないのです。

しかし、岡田有希子さんの姿を目にした人は1人や2人ではありませんでした。

それにしてもどうして中森明菜さんに???

中森明菜さんは、実は岡田有希子さんのライバルと目されていた方なんだとか・・・・。

しかも、岡田有希子さんは、芸能界デビューのきっかけとなった「スター誕生!」の決勝で、中森明菜さんの曲「スローモーション」を歌って合格してます。

1989年、岡田有希子さんの事件の3年後、中森明菜さんは当時交際していた「近藤真彦」さんのマンションで、騒動を起こします。

岡田有希子さんと同じ事件を・・・・幸い未遂で終わったということですが、その後1年間、彼女は芸能活動を休んでしまいます。

呪い・・・・なんて言われてしまっているようですが、現実的ではありません!

おそらくただの噂・・・・勘違いでしょう。

もしかしたら、中森明菜さんは岡田有希子さんのファンから、バッシングを受けていたのかもしれません。

定かではないのですがね。

写真を撮ったカメラマン・・・

事件が起こった後、報知新聞が岡田有希子さんのご遺体の写真を掲載して大騒ぎになりました。

そのご遺体は、落下した直後の状態。

その損傷は凄まじかったらしく、岡田有希子さんは頭部を著しく損傷していたらしいです。

噂によると、その場に偶然居合わせた報知新聞社のカメラマンは、彼女の身体を自分の好みの角度から写真を撮影するために蹴り上げて動かしていたとか。

本当でしょうか?素人なら、ご遺体に触れるのが恐ろしいと感じるものだと思うのですが・・・・。

事件の1年後、1987年。

そのカメラマンはサウナで亡くなったと・・・・・噂になっていました。

一部の噂では「自ら死を選んだ」なんてことも言われていました・・・・。

これも呪い??

と思ったら、亡くなったのは写真を撮影したカメラマンとは全くの別人。

このカメラマンは、まだご存命だと言われています。

つまりこれもガセ。

おそらくですが、彼女の写真を掲載したことに怒りを覚えたファンが、噂を広めてしまったのでしょうね。

元マネージャー他界

岡田有希子さんの元マネージャーが、自らの命を絶った・・・・という事実。

岡田有希子さんの当時のマネージャーだった「溝口伸朗」氏。

彼は岡田有希子さんが亡くなった14年後の2000年7月9日、サンミュージック事務所がある新宿の大木戸ビルのトイレで自らの意思で亡くなっています。

ちなみに岡田有希子さんが亡くなられた後、溝口氏は「酒井法子」さんのマネージャーになったとか。

酒井法子さんは後に、夫の高相祐一氏とともに違法薬物の事件で亡くなっています。

これも、「呪い」やらなんやらと言われているらしいですが・・・・。

岡田有希子さんの事件から14年も後のこと。

関係があるとは思えませんね。

不幸の連鎖・・・・偶然としか言えないのではないでしょうか。

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■真相は?事件後、資料が紛失した?

事件の真相・・・・それはどこにあるのでしょうか?

あくまでも推測でしかないのですが、事は思った以上に単純、なのではないでしょうか。

岡田有希子さん、彼女はとてつもない頑張り屋だと言われているみたいです。

彼女は芸能界デビューを両親や担任教師から猛反対されていたとのこと・・・・。

母は芸能界デビューを熱望する岡田有希子さんに対して3つの条件を出したというのです。

「学内テスト1位」、「中部模試で5位以内」、「向陽高校合格」

彼女はほとんど眠らずに勉強に励み、これらの条件を全てクリア。

その後、サンミュージック会長の自宅で居候することになった岡田有希子さん。

彼女と同居していた事務所の先輩たちは、岡田有希子さんについてこう語っています。

「芸能活動を開始した後も、勉強を頑張っていた。テスト期間中はほとんど眠っていなかった。普段からダイエットやトレーニングに手を抜く娘ではなかったし、雑用もしていたから、床で眠っていたこともあったくらい」

彼女は他人に気を使う性格だったらしく、挨拶を欠かさなかったと言われています。

「あの人に挨拶したかな?忘れてしまったかな?無視しちゃったかな?と考えてしまう」

と岡田有希子さん自身が証言しています。

岡田有希子さんは超多忙な生活をして、早朝から深夜まで仕事をしておきながら、NGを出したことはほとんど無いと言われています。

それだけ反復練習を繰り返す人だったのでしょう。

サンミュージックの当時の専務「福田氏」が語っていましたね。

「躁鬱の激しい娘だった」

と・・・・・。彼女は浮き沈みの激しい人だったのではないでしょうか?

その為、一時的にドン底まで沈んでしまった時に事件が起こった・・・・。

彼女の事件は当時相当な大騒ぎになったと言われています。

ということは、ファンは「事件の真相は相当に深いはず」と思い込んでも無理はありません。

そのため、噂が噂を呼び、とんでもなく大きなものになって真相からかけ離れていってしまったとか・・・。

岡田有希子さんも、峰岸徹さんも亡くなった今、真相は闇の中。

しかし、岡田有希子さんの性格を知るほどに、鬱に陥りやすい性格だと思えてならないのですが。

まぁ、拙僧の推理なんてほとんど当たりませんので、あてにはならないかもしれませんがね。

資料が紛失?

事件の後、岡田有希子さんの事務所の「サンミュージック」から、岡田有希子さんの資料やグッズがことごとく紛失していたそうです。

それを持ち去ったのはサンミュージックに務めていたオーストラリア人の白人男性「リチャード」(50)という方だとか。

彼は事件の3年後の1989年から1991年までの間、白人男性リチャードは「サンミュージック」に務めていたということです。

リチャード氏は現在も日本在住。

どうして彼は岡田有希子さんの資料を持ち去ってしまったのでしょうか?

誰かから許可を得て行ったことではなく、勝手に持ち出したということですが・・・・・なぜ?

彼はオーストラリア在住の時から、岡田有希子さんのファンだったとか。

しかし、大学生の頃、岡田有希子さんは亡くなってしまいました。

その後、リチャード氏は日本へ!

上智大学に留学したのだそうです。

するとリチャード氏の同期に「早見優」さんがいたそうですね。

彼女の紹介で、リチャード氏はサンミュージックに入社!

松田聖子の英語通訳なども務めていたのだそうです。

ある日、彼は岡田有希子さんの資料を扱う先輩たちの会話を耳にして衝撃を受けました。

岡田有希子さんの資料を、必要ないので倉庫の奥にしまうように!と話していたのだとか。

それを耳にしたリチャード氏はショック!!

大好きな岡田有希子さんの資料が封じられてしまう・・・・。

それに耐えられなかった彼は、無断で資料を持ち出して退職!

彼はその194点の資料を大切に保管しているということですね。

その資料とは、彼女自身が撮りためた「プライベートアルバム」、「自ら書いた衣装のデッサン」、「ブロマイド」、「岡田有希子のインタビューのVHSテープ」、「CMのオープンリール」「岡田有希子の雑誌記事の切り抜き」などなど。

サンミュージックさんは、彼の行動を不問にすることを決定しているみたいですね。

それにしても、よく見つかりましたねその資料!!

岡田有希子さんのファンからすると、これらの資料は、この上なく貴重なんでしょう!!

リチャード氏・・・もしかしたら、よくやったのかもしれません!!

親友・生田智子さんのコメント

親友だったという生田智子さん。

同い年で、ショックすぎて、当時の事は覚えていない。

生田智子さんが岡田有希子さんと最期に話したのは亡くなる前日の夜。

引越し祝いのプレゼントを渡したい。

と生田智子さんは岡田有希子さんに話したそうです。

それでも生田智子さんは、上り詰めた岡田有希子さんに対して

「幸せだったよね」

と言いたいとおっしゃっておられましたね。

岡田有希子さんと堀越学園で同級生だったという「岡村有希子」「南きよみ」「森奈みはる」さんたち、最期に岡田有希子さんと会ったのは1986年3月3日。東京中野サンプラザにて行われた「堀越学園卒業式」だったそうです。

彼女たちは、岡田有希子さんの件についてこう語っていました。

「なんでも自分で抱え込んでしまう娘だった。

どうして気づいてあげられなかったのだろう」

と・・・・。

おそらく、ご遺族や、岡田有希子さんを大切に想う方々からすると、このコメントはとても心を癒やしてくれるものではないでしょうか。

何か出来たことががあったのでは?

岡田有希子さんのご冥福をお祈りいたします。


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・1986年4月8日、人気アイドル「岡田有希子」さんが亡くなった。

・事件の真相を求めて、峰岸徹さんや舘ひろしさんなどとの関係が噂された。

・心霊現象などの噂も起こっている。

・真相は、おそらく「頑張りすぎる」彼女の性格から来る心労によるものでは?

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

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■その他の記事

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