ティムールの名言とは?子孫は現在スラム生活?呪いの棺はどこにある?


ウズベキスタンの英雄とされている、支配者「ティムール」

彼の名言は、後世の人々に恐怖をもたらすものでした。

それは「呪いの棺」と呼ばれる彼の棺に刻まれているそうです。

子孫は現在どういう生活をしているのでしょうか?


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■目次

ティムールとは?

ティムールの名言?呪いの棺とは?

呪いは本当か?

ティムールの子孫は今どこに?

本日のまとめ

その他の記事

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。


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■ティムールとは?

ティムール・・・。

現在のウズベキスタンなどを中心に支配地域を持っていた大帝国「ティムール朝」の建国者。

つまりはティムール朝の最初の王ですね。

その天才的な軍事能力を駆使して、蒙古、つまりモンゴル帝国・元が築き上げた大帝国の半分ほどの大きさの帝国を支配した人物。

彼が行きた時代は14世紀から15世紀にかけてですから、モンゴル帝国が分裂、衰退した後の中央アジアを支配した人物ということになります。

このティムールという人物、ウズベキスタンでは英雄視されているらしいですが、それ以外の国ではかなり恨まれているらしいです。

というか恐れられていると言ったほうがいいかもしれません。

なぜなら、このティムールには、生前と死後に、恐怖を掻き立てられる名言を残しているからです。

生前の恐怖の「名言」

死後の恐怖の「名言」

これがティムールという人物が恐れられている理由だと思います。

ではその名言とはなんなのでしょうか?というより、名言って言っていいのかな?迷言かも。

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■ティムールの名言?呪いの棺とは?

ティムールという人物が当時から恐れられていた理由は、彼の残忍さ。

ティムールは軍事の天才ではありましたが、その戦法は相手を徹底的に恐怖させる凄まじいものだったとか。

例えばよく使ったのが、焦土作戦。

つまり、征服した土地の人間を虐殺し、しかも焼き払って破壊の限りをつくすと言うもの。

この焦土作戦は、老若男女を問わず無差別に行われました。

これは「みせしめ」という意味もあったと言われています。

ダマスカスを攻撃した際に、ティムールは1万人の幼児を馬にひき裂かせて殺害したと言われています。

これに対してティムールはこう言い放ったそうです。

「子どもたちに対して、私は慈悲の心が全く湧かなかった」

これは、名言というよりも迷言でしょうね。

何の罪もない子供ですら躊躇なく殺害する。

この残虐さは「織田信長」ですらも及ばないでしょうね。

そして、もう一つの名言

「神の他に神なし」

これは死の直前に放った言葉。

彼はイスラム教徒ではありましたが、信心深くはなかったと言われています。それでも、最期に神を讃えたのは、死後を恐れたのでしょうか?

死後の名言と「呪いの棺」

ティムールの死後の名言とは何のことか?

それはティムールの眠る棺に刻まれた言葉のこと。

ウズベキスタンのサマルカンドに「グーリ・アミール廟」という「ティムールの墓」があります。

ティムールの眠る棺にはこんなことが書かれています。

「私が死の眠りから目覚めた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」

死んだ跡でまでとんでもないことを言ってますね。

実はこの棺は「呪いの棺」又は「禁断の棺」と呼ばれており、その理由は、この予言・ティムールの言葉が現実のものとなってしまったためでした。

1941年、ソ連の考古学チームが、ティムールの棺を調査。

そして、棺を開けたところ、棺の内側に更に文字が刻まれていました。

「墓を暴いたものは、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」

とのこと。

このソ連の考古学チームは気にすること無く調査を続行。

ところが調査開始から2日後、驚くべきことに、考古学チームの祖国であるソ連が「ナチス・ドイツ」の進行を受けたのでした。

ナチス・ドイツは怒涛の勢いでソ連軍を撃破していきました。

それに驚いたソ連の考古学チームは、1942年に再びティムールの棺を埋葬。

すると驚いたことに、ソ連は直後に反撃を開始!

1942年11月のスターリングラードの戦いで反撃に転じてナチス・ドイツを撃退したのです。


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■呪いは本当なのか?

さて、ティムールの呪いは本当なのでしょうか?

ティムールの言葉は2つ。

「私が死の眠りから目覚めた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」

「墓を暴いたものは、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」

世界はティムール以上の侵略者「アドルフ・ヒトラー」に恐怖したわけです。

しかし、これって偶然なのでは?

独裁者は死後、遺体を暴かれることを恐れるもの。

チンギス・ハーンなんて、自分の墓所がどこにあるのかを明かしていません。

秦の始皇帝は、自らを葬るための墓に幾多の罠を仕掛けまくったと言われています。

ティムールも、墓を暴かれることをおそれてこんなことを書いたのでしょう。

実際、最近では日本のテレビクルーが墓に入っているみたいですしね。

ソ連のチームが棺を開けた直後にソ連が侵略された・・・・。

偶然にしては気味が悪いと思いますが、関連があった・・・・というのは非現実的な気がします。

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■ティムールの子孫は今どこに?

ティムールの子孫は、今どこにいるのでしょうか?

実はスラム生活をしているらしいのです。

かなり貧しい生活をしているみたいですね。

中央アジアに大帝国を築いたティムールの子孫が、どうしてそんなことになってしまったのか?

ティムールの5代あとの子孫であるバーブルは、インドを中心とした帝国「ムガル帝国」を建国し初代皇帝となりました。

つまり、ティムールの子孫であるバーブルもまた、「建国の父」だったわけです。

ムガル帝国は1526年に建国されました。

そして、1858年に滅亡します。

滅亡の理由は、君主の能力不足とイギリスとの戦争。

17世紀頃から、イギリスはインドを植民地としていました。

イギリスの支配に不満を抱いた民衆の反乱。そして数百年という時間とともに進む王朝の衰退。

これによって、ティムールの子孫であるムガル帝国の最期の皇帝はミャンマーに流刑にされ、王族は衰退していったとのことです。

現在ティムールの子孫・つまりバーブルの子孫は、インドの西ベンガル州・コルカタのハウラー地区にあるスラム街に住んでいるとか。

もちろんスラム街にいる子孫はごくごく一部だけだと思いますが、それほど裕福ではない生活を送っているらしいです。

現在、インド政府から毎月400ルピー、日本円で約1200円の支給を受けて生活しているんだそうです。

ちなみにインドの平均月収は約1900ルピーです。

なぜこんな生活を送っているのか?

インドのムガル帝国がイギリスに滅亡させられて後、イギリスは直接的にインドを支配しだしました。

しかしそのイギリスの支配は第2次世界対戦の下で、日本軍の攻撃により終わりを告げます。

1947年にインドがイギリスから独立した祭に、インドは民主主義国家へ。

その時、王朝復活!ということになっていたなら、おそらくティムールの子孫たちは裕福な生活に戻っていたでしょうけど、共和国となったので、子孫はそのまま貧しい生活をすることに・・・。

しかもインドには階級制度の「カースト制」という制度が根強く残っているらしいですから、苦労はかなりのものでしょう。

祖先の栄光・・・・子孫は何を思っているのでしょうかね?


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・ティムールとは、ウズベキスタンの英雄で、大帝国の皇帝。

・呪いの棺とはウズベキスタン・サマルカンドにある。

・この棺を暴いたチームの祖国がナチス・ドイツに侵略された。

・ティムールの子孫はインドのスラムで暮らしているらしい。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

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