常高院(お初)はスパイでキリスト教徒?堀を埋めさせ敗北させた黒幕

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大河ドラマ「真田丸」にて「はいだしょうこ」さんが演じている「常高院」こと「初姫

実は彼女は「大阪冬の陣」を終わらせた和睦をまとめた人物。

この和睦条件であった「堀の埋め立て」が原因で、豊臣家は滅亡

もしかして、常高院はスパイだった?


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「戦国時代(大河ドラマ関連)」の記事はコチラ
阿茶局は大阪城を無力化した天才軍師?」の記事はコチラ

■目次

「常高院・お初」とは?

大阪冬の陣を終わらせたのは常高院?

常高院は家康のスパイ?

実はキリスト教徒?

本日のまとめ

その他の記事

よろしければお付き合いくださいませ。

南無阿弥陀仏・・・。


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■「常高院・お初」とは?

大河ドラマ「真田丸」で「はいだしょうこ」さんが演じている「常高院」こと「お初」さん。

以前大河ドラマ「」で、「初」は「水川あさみ」さんが演じていました。

さてこの「常高院・初」さんは一体何者なのか?

彼女は「豊臣秀頼」の母である「淀殿」の妹。

そして、「二代将軍・徳川秀忠」の妻「」の姉。

父は「浅井長政」・母は織田信長の妹「お市

つまり、「大阪の陣」で豊臣軍と徳川軍が戦うということは、「常高院・初」にとっては「姉・淀殿」と「妹・江」の戦いということです。

このため、「常高院・初」は、板挟みの状態に陥ります。

ちなみに彼女の夫は、従兄弟にあたる「京極高次」。

京極高次の母「マリア」は、「常高院・初」の父「浅井長政」の妹。

京極高次は大名で、元々京極家は、彼女の父「浅井家」の主君だった家。「京極家」といえば、先祖は「足利尊氏」の親友でバサラ大名と呼ばれた「佐々木道誉」。

「常高院・初」には子供がいなかったため、妹・江の4女を養子にもらい、自分と同じ「」と名付けて養育。

そして、京極高次の側室の子「京極忠高」と、養女「初」を婚姻させました。

彼女の夫「京極高次」は1609年に死去。

その時、出家し「常高院」と名乗ったのです。

さて、彼女は大阪の陣で、どのような活躍を見せたのか?

実は、豊臣家にとって致命的なことをやらかしているのです。

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■大阪冬の陣を終わらせたのは常高院?

実は大阪冬の陣を和睦で終わらせたのは常高院さん。

彼女は豊臣家の代理人として、徳川軍の代理人「阿茶局」と和睦交渉を行っているのです。

ちなみに大河ドラマ「真田丸」で「阿茶局」は女優「斉藤由貴」さんが演じておられます。

常高院と阿茶局の和睦交渉は、「大阪城の堀を埋めること」を条件にまとまり、大阪冬の陣は終わります。

実は大阪冬の陣が始まる前から、常高院は姉の「淀殿」を説得し、徳川家との関係修復に奔走していました。

しかし、その苦労は報われず、大阪冬の陣が勃発。

彼女は「小谷城落城」「北ノ庄城落城」「大津城落城」という3度の落城を経験しており、本当に戦争が嫌いだったのかも。

戦争を終らせるためになりふり構わなかった「常高院・初」。

しかし、その和睦交渉の際に「大阪城の堀の埋め立て」を受け入れてしまったことで、豊臣家は滅亡へとひた走ることになります。


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■常高院は家康のスパイ?

常高院の人生・・・・・最期は江戸の京極家屋敷内で1633年に亡くなっています。

浅井三姉妹の中で最も長生きです。

さて、常高院は秀忠に特に大切にされて余生を過ごしています。

大阪の陣が終わって江戸に移ってからは、頻繁に妹の「江」に会っていたとか。

秀忠にとっては常高院は義理の姉ですから、大切にされるのは当然かもしれませんが、もしかしたら裏があったのかも・・・。

徳川家にとって恩人だったとか?

大阪冬の陣は、「堀の埋め立て」を条件に和睦。

そして、その約3ヶ月後、豊臣家は「大阪夏の陣」で滅亡しています。

真田幸村の必死の突撃などで抵抗しましたが、それも虚しくあっけなく豊臣家は負けてしまいます。

どうして負けたかというと、「大阪城の防御力に頼れなかったから」。

常高院が結んでしまった「和睦」条件、「堀の埋め立て」が効いてしまったのです。

常高院が嫁いだ「京極高次」の側室の息子で養女「初姫」の夫「京極忠高」は大阪の陣で家康に味方しています。

この京極忠高は、父の死後「若狭92000石」を相続していますが、大阪冬の陣では自分の陣所で「常高院と阿茶局」の和睦交渉が行われました。

しかも忠高は、大阪城の堀の埋め立て作業の責任者でもあったみたいです。

そして、彼は後に、徳川家からの絶大な信頼を勝ち取り、越前敦賀・出雲・隠岐などの領地をもらい26万石へと大幅に出世します。

これはもしかしたら、「大阪冬の陣」での常高院の働きに対する報酬だったのでは?

常高院の和睦交渉のおかげで、徳川家は大阪夏の陣にあっけなく勝利したことを考えれば、もしかしたら「常高院・初」は「家康のスパイ」だったのでしょうか?

と考えてみましたが・・・・これはないでしょうね。

結果だけみれば、たしかに常高院と京極家は出世しています。

しかし常高院は姉の「淀殿」を失っています。

秀忠が京極家を引き立てたのは、自分の娘で常高院の養女「初」の嫁ぎ先だったからでしょう。

実は常高院は、京極高次が側室に京極忠高を産ませた時、嫉妬にかられて忠高を殺害しようとしたとか・・・・。

そんな忠高の出世ために、常高院は命懸けで和睦交渉するとは思えません。

おそらく常高院は、ただただ姉の淀殿を助けたい一身だったのでしょう。

大阪夏の陣終結の際には、常高院は、豊臣秀頼の子「国松丸」と「結姫」の命乞いを行っています。

国松丸は処刑されますが、結姫は常高院の命乞いにより助かっています。

常高院は、姉を救いたいという気持ちを、上手く家康に利用されたのでしょう。

常高院のように「戦争を嫌う女性」が和睦交渉をしてくれたおかげで、家康は有利な条件で和睦できました・・・。

常高院・・・戦争を嫌うあまり、ちょっと失敗しちゃったかな。

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■実はキリスト教徒?

常高院は実はキリスト教徒だったと言われています。

当時、徳川幕府の政策として、「キリスト教」は禁止されていました。

しかし、常高院は、キリスト教徒に改宗したと言われています。

彼女の墓石には、その様子が残っているとされています。

どうして常高院は、禁止されていたキリスト教に傾倒したのか?

もしかしたら、姉の淀を殺害した徳川家への精一杯の反抗を示したのかもしれませんね。

京極家は、後に跡継ぎがいなかったため、26万石から6万石へと格下げ。

実は京極忠高は秀忠に嫌われていたらしいです。

理由は「京極忠高」が妻で徳川秀忠の娘「初」と仲が悪かったため。

京極忠高は妻・初が亡くなった時、相撲観戦をしていたとか。

そのため、初の葬儀は秀忠が行い、忠高は参列できなかったとのこと・・・。

母「常高院」がキリスト教徒だったことも、秀忠にとっては不快だったのかもしれませんね。


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■本日のまとめ

本日の記事をまとめますと

・常高院・お初は、淀殿の妹で、徳川秀忠の妻・江の姉。

・常高院は「大阪冬の陣」の和睦交渉をまとめた人物。

・しかし結果として彼女の努力は豊臣家滅亡を早めてしまった。

・彼女は家康のスパイ・・ではなく、上手く利用されたのだろう。

・彼女はキリスト教徒だったらしい。

以上となります。

本日は「生臭寺院」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

またよろしければお付き合いくださいませ。

それではこの辺で失礼致します。

南無阿弥陀仏・・・。

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■その他の記事

よろしければコチラの記事も合わせてお読み下さいませ。

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「大阪の陣の敗因は淀殿?裏切り者を極端に恐れすぎた?」の記事はコチラ

後藤又兵衛の最期は?新資料発見で死に様が明らかに!」の記事はコチラ


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